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歴史
古代:交易の中心地、および物資集散地として繁栄。古代ギリシャや古代ローマの時代には「幸福のアラビア(Arabia a Felix)」として知られる。
紀元前7世紀頃:シバ王国が、農耕の発達や、インド産香料の中継貿易によって繁栄。
525年:エチオピアの勢力から侵入を受ける。
575年:サーサーン朝ペルシャの支配を受ける。
7世紀:イスラム教が流入。
9世紀:ザイド派(シーア派の一派)のイマームを祖とするラッシー(ラシード)王家による王朝が成立。王家は近年まで存続。
16世紀:オスマン帝国の支配下に入るが、イエメン人はオスマン帝国に対し抵抗。1世紀後にオスマン勢力を駆逐し、ザイード派勢力による支配を受ける。
19世紀初頭:エジプトの勢力下に置かれる。
1839年:イギリスがアデンを始めとする南イエメンを占領。以後、南イエメンはイギリスの植民地となる。
1849年:オスマン帝国が北イエメンを再占領。
1918年:オスマン帝国の第一次世界大戦敗北にともない、イエメン王国が独立。
1962年:軍事クーデターにより、イエメン王国が崩壊。イエメン・アラブ共和国が成立するも、北イエメン内戦が勃発(?1970年)。
1967年:英領イエメン(南イエメン)が、南イエメン人民共和国として独立。後にイエメン人民民主共和国へ改称。
1990年5月22日:北イエメン、南イエメンが合併し、現在のイエメン共和国が成立。
1994年5月4日:旧南側勢力が再独立を求め、イエメン内戦が勃発。しかし、南側勢力は国際的な支持を得られず、約2ヶ月で鎮圧される(?7月7日)。
1999年9月23日:国民の直接投票による初めての大統領選挙が行なわれる。
2000年6月12日:サウジアラビアとの国境線が画定し、領土面積が正式なものとなる。
2000年10月:旧南イエメンの首都であったアデンにあるアデン港で、イスラム原理主義勢力アルカーイダによる米艦コール襲撃事件が起こる。
政治
イエメンは、アラビア半島諸国において唯一共和制をとる立憲国家である。現行憲法は1991年に発布され、1994年および2001年に改正されたものである。民主化に強い意欲があり、言論の自由も認められている。
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は7年で、3選禁止。その権限は強大で、形式上も事実上も国家の最高指導者である。副大統領と首相は大統領により任命される。
内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、首相の助言に基づき大統領が任命する。
議会は二院制で、諮問評議会(111議席)と人民代表院(301議席)から構成される。諮問評議会議員は全員が大統領による任命制。人民代表院議員は国民の直接選挙で選出され、任期は6年。ただし、諮問評議会に立法権は無く、大統領の政策に対する助言機関に過ぎないことから、イエメン議会は実質的に立法権を行使しうる人民代表院のみの一院制であるとする説もある。
主要政党には旧北イエメン与党でアリ・アブドラ・サーレハ大統領率いる国民全体会議、旧南イエメンの政権党であったイエメン社会党、そしてイエメン改革連合の3党がある。
最高司法機関は最高裁判所。女性にも参政権が認められている。
人権
他のアラビア半島の諸国に比して近代化が進んでいるとはいえ、イエメンもまたイスラームの保守的解釈から来る人権侵害と無縁ではない。 イエメンは女児の結婚最低年齢に関する法律がない。これはイエメンは女子の結婚最低年齢に関して、イスラーム法上一般的な9歳という解釈を取っていない為である。そのため、イランやサウジアラビアなど、シャリーアを施行する他のイスラーム国家でさえ不可能な9歳未満の女児との結婚・セックスも可能であり、問題視されている[1][2]。
経済
一人当たりの国内総生産は2003年に800米ドル。周辺アラブ国に比べても著しく低い。石油を産出し、貿易収入は漸増傾向にはあるものの、そのほとんどは食料品や機械類などの輸入で帳消しとなる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:Mamenoki