アンドラ公国
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正式国名カタルーニャ語で、Principat d'Andorra(プリンシパト・ダンドッラ)、通称、Andorra(アンドッラ)。

フランス語では、Principaute d'Andorre(プランシポテ・ダンドール)、通称、Andorre(アンドール)、スペイン語では、Principado de Andorra(プリンシパド・デ・アンドルラ)、通称、Andorra(アンドルラ)、英語では、Principality of Andorra(プリンシパリティ・オブ・アンドーラ)、通称、Andorra(アンドーラ)である。日本語での正式国名はアンドラ公国、通称はアンドラ、漢字表記は安道爾である。

国名はバスク語起源の語に由来すると推定されるが、不明である。


歴史

8世紀、シャルルマーニュがピレネー山中においたスペイン辺境領の一つ、ウルヘル伯領を起源とする。

のちにウルヘル伯より宗主権を獲得したウルヘル司教と、司教から条件付きで領主とされたフォワ伯爵家との間に争いが起き、調停案として1278年、両者を対等の共同統治者とする宗主契約が結ばれた。その後、フォワ伯の権限はのちのフランス王室となるブルボン家アンリ4世に帰し、王政廃止後はフランス大統領がこれを引き継いだ。

1993年、アンドラは新憲法を制定、ウルヘル司教とフランス大統領を共同元首とする議会制民主主義を敷き、正式に独立国家となった。同年7月、国際連合に加盟。


地理衛星写真

国土面積は468km2。ピレネー山脈東部に位置し、スペインとフランスにはさまれた山がちの内陸国である。スペインのカタルーニャ州リェイダ県、フランスのミディ=ピレネー地域圏アリエージュ県ラングドック=ルシヨン地域圏ピレネー=オリアンタル県に接する。夏季は乾燥、冬季の降雪は多い。

最高峰はコマ・ペドローザ峰(2942m)、主な川はバリラ川。


地方行政区分

詳細はアンドラの地方行政区画を参照

7つの教区(パロキア、parroquia)に区分される。

アンドラ・ラ・ベリャ

エスカルデス・エンゴルダニ

エンカンプ

オルディノ

カニーリョ

サン・ジュリア・デ・ロリア

ラ・マサナ



政治アンドラの主な都市

国家元首である大公は、スペインウルヘル司教フォワ伯爵位を法的に継承するフランス大統領との二頭制である。その権限は、首相の任命等、儀礼的なものに限られる。この両名がアンドラに来訪することはほとんどなく、それぞれの代行者が来訪して、または駐在代理官が委任を受けて、その権限を行使する。

議会は、一院制で、Consell General de les Valls(渓谷総会)と呼ばれる。28議席、任期4年。14議席を全国区から、残り14議席を各教区2議席ずつ選出する。行政府の長Cap de Governである首相は、議会によって選出される。


外交

外交1993年まではフランスが代行していたが、アンドラ政府自身で行うことになった。国際連合(1993年)および欧州評議会(1994年)に加盟。2007年現在、WTOに加盟申請中である。これに対して欧州連合(EU)や欧州自由貿易連合(EFTA)、万国郵便連合には加盟していない。


日本との関係

日本は1993年12月にアンドラを国家承認し、1995年10月に両国間の外交関係が築かれた。なお、在アンドラ日本大使館の業務は、在フランス日本大使館が兼轄している。

日本人のアンドラへの渡航は、在スペイン及び在フランス日本人によるものを中心に年間数千人程度と見られている。なお在アンドラ邦人はアンドラ人と結婚したものや観光関係者など数人とみられている。


軍事

敵対する国家も存在しない上、近年まで外交をスペインとフランスにゆだねていたこともあり、軍隊は持たず、国防に関してはフランス及びスペインに委託している。

ただし、アンドラはかつて第一次世界大戦及び第二次世界大戦に参戦していた。第一次世界大戦の際の「アンドラ国軍」は全員で11名(士官1人、参謀4人、兵士6人)であり、余りにも小規模であったためかヴェルサイユ条約調印式にフランスがアンドラの存在を忘れてしまい、それ故アンドラは形式上第一次世界大戦を継続したまま第二次世界大戦に突入する結果となった。


経済エンカンプの市街地オルディノの市街地


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki