アラル海
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概要

年海面
高度m海面の
面積km?水量km?塩分
濃度‰
1960年53.468,000
(100%)1,090
(100%)10
1971年51.060,200
(89%)925
(85%)12
1976年48.255,700
(82%)763
(70%)14
1987年40.541,000
(60%)374
(34%)27
1989年頃大アラル海と小アラル海に分断
2000年34.022,400
(33%)-50
2005年頃大アラル海が西アラル海と東アラル海に分断

内陸湖。かつての塩分濃度は海水の1/10程度であった。流出河川は無く「尻無し湖」と呼ばれる。世界で4番目の面積を誇っていたが、1940年代よりスターリン - フルシチョフ時代の旧ソ連が「自然改造計画」の一環として実施した[1]綿花栽培のための灌漑やアムダリア川の上流部にカラクーム運河を建設したことにより、アラル海に流れ込むアムダリヤ川シルダリヤ川の流量が激減。1960年代以降、面積が急激に縮小し、大アラル海消滅も目前に迫っている。

1989年頃には北側の小アラル海と南側の大アラル海に分断された。1960年に比べて水面が15m以上低下し面積が62%、水量が84%も減少、塩分濃度が6倍以上になった。これにより、アラル海に生息していた魚などの動物の大半が死滅し漁業も壊滅し、名産であったキャビア缶詰などの周辺産業もほぼ全滅。ゴーストタウンと化した地域も少なくない。

2005年頃には大アラル海が東西に分断された。一方の小アラル海はコカラル堤防の建設により回復しつつある。

一方で国境問題[2]や経済的事情から広域的な協議はされておらず、有効な対策はほとんど実行されていない。

これら人的要因による湖の縮小・それにともなう周辺環境の急変は「20世紀最大の環境破壊」とも言われている。


自然改造計画による環境破壊


時代背景

帝政ロシア時代より中央アジア地域に運河を張り巡らす構想は存在した。 19世紀末のグルコフスコイによる案は,中央アジアに灌漑をひいて綿花を栽培するというより,インドの綿花を輸送するための運河計画案であったといわれる。 また、南北戦争によってアメリカの綿花が入らなくなり世界的に綿花供給が減少し、この時期,英国はインドのパンジャーブで灌漑を取り入れた綿花栽培をおこなったようにロシアは中央アジアで、という狙いがあったのではないかともいわれる。そういった構想はロシア革命後も形を変えて引き継がれた。

冷戦時代のソ連は社会主義陣営の盟主として陣営内の物流機能を西側に頼らずにまかなうこと、それも「社会主義的政策」により素晴らしい効果を挙げることが必要だった。そのため「自然改造計画」が発案され、1940年代より運河・水路が建設された。そして中央アジアの砂漠地帯を農業用地に変えコルホーズソフホーズなどで綿花等の栽培を行った。

灌漑のための取水量増加に伴い、綿花の生産は増大した。ウズベキスタンにおいて1940年に150万t弱だった綿花生産量は1970年に450万t、1986年には500万tに達した。こうした成果は西側に対する示威行為として「社会主義の勝利」と銘打って華々しく喧伝された。


無謀な計画1989年と2003年の比較写真

ところがこの計画は中央政府が専門知識のないまま机上の思いつきによる発案をトップダウン式に命令を下し断行したため、のち多くの問題をもらたしている。

アラル海周辺は砂漠気候(BWk)であり、もともと大量の水を必要とする綿花の栽培には向かない風土である。

この地域の土壌には塩分が多量に含まれているため毛細管現象により地表に塩分を排出し、塩害により不毛地帯になってしまう。

従って最初は強制的な灌漑により耕作できた土地も塩害の進行とともに放棄せざるを得なくなる。


アムダリヤ・シルダリヤ両河川に灌漑用水路を建設したがこれらは原始的な手掘りであったため、大半の水が無駄に砂漠に吸収される。従って両河川流域でも、大規模な塩害が発生する。

このようなずさんな灌漑設備により流量の激減した両河川は、下流域のアラル海の水域を大きく減少させる。

ソ連の科学者のなかにはそのような事態を招くことをあらかじめ想定し反対を唱えた者もいないではなかったが「社会主義を妨害するもの」と見なされ[3]、そのまま断行された。すなわち、「自然改造」の弊害は「自然改造」で克服するという考え方がより建設的である、とされた時代である。

中央政府は漁業利潤と灌漑利潤試算を盾に当時「アラル海で捕れるチョウザメキャビアがどれほどの利益になろうか。それが社会主義の勝利にどれほど貢献するというのか。それよりも砂漠の地を緑に変え、そこで栽培される綿花がどれだけの利益を生み出すだろう。なるほど、灌漑によってアラル海は干上がるかもしれない。しかし社会主義の勝利のためにはアラル海はむしろ美しく死ぬべきである」と説明していた(参考: ⇒[1])。 [4]


悲惨な結果かつての湖底に放棄された船かつての港(カザフスタン、アラルの町にて)

上述の欠点・懸念はすべて現実のものとなった。1960年代には年平均20cm、1970年代には年平均60cmものハイスピードで水面が低下し、急激に縮小をはじめた。一晩で数十メートルも海岸線が遠のいていくため、退避しそこなってその場に打ち捨てられた船の群れが後に「船の墓場」として有名になった。

他にも以下のような悪影響が発生している。

アラル海は砂漠地帯の中のオアシスであった。湖の存在により気温・湿度が一定の過ごしやすい環境に保たれ、動植物が多様に存在していた。しかし湖が干上がることにより雨は降らなくなり、気温も年較差が激しくなった。そのことにより周辺の緑が枯れ、表層土も失われ、湖ともども砂漠化の進行を加速化している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki