詳細は南北戦争を参照奴隷制を巡って起きた南北戦争における、事実上の決戦となったゲティスバーグの戦い
その後は勢力圏を拡大していき、1803年のフランスからのルイジアナ買収や、1819年のスペインからのフロリダ併合、1836年のメヒコ領テハスにおけるテキサス共和国樹立や、その後メキシコへの侵略、スペインなど諸外国との戦争、アラスカのロシアからの買収などにより多くの新しい州と海外領土を合衆国に加えていった。その間の1861年から1865年まで内戦(南北戦争)を経験する。
その最中の1862年にはエイブラハム・リンカーンにより奴隷解放宣言がなされたが、法の上でのアフリカ系アメリカ人や先住民などのその他の少数民族に対する人種差別はその後も100年以上に渡り続くことになる。なお、リンカーンは南北戦争終結後に暗殺される。
1898年にはハワイ王国を軍事的恫喝にて併合し、また同年米西戦争に勝利してグアム、フィリピン、プエルトリコを植民地に、キューバを保護国にした。その後1914年にヨーロッパで勃発した第一次世界大戦にはイギリスやフランス、日本などの列強諸国とともに連合国側として参戦し、さらに戦時中にハイチ、ドミニカ共和国に出兵して軍政を敷いた。戦後はウッドロウ・ウィルソン大統領の主導によって国際連盟設立に大きな役目を担ったが、モンロー主義を唱えてラテンアメリカに対する支配権を維持しようとする上院の反対により加盟はしなかった。また、これにより他の戦勝国とともに5大国の一員として注目されることになる。
詳細は世界恐慌を参照
続く1920年代には都市部でバブル経済に基づく空前の繁栄「轟く20年代」( ⇒Roaring Twenties)が起こるが、1929年10月29日ウォール街のニューヨーク株式取引所で起った株の大暴落「ブラック・チューズデー」がきっかけとなり、1939年まで続く世界恐慌が始まった。この世界恐慌は後にドイツやイタリア、日本などにおける軍事政権や独裁政権の成立の大きなきっかけとなっただけでなく、アメリカ国内においても労働者や失業者による暴動が頻発するなど大きな社会的不安を招いた。
第二次世界大戦広島の3日後の1945年8月9日、長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲
詳細は第二次世界大戦を参照
1939年9月にヨーロッパにおいて開戦した第二次世界大戦においては、1941年12月の大日本帝国(現在の日本)による真珠湾攻撃の後に、イギリスやソビエト連邦、中華民国やオーストラリアなどが中心となって構成された連合国の一員として参戦した。しかし主な戦場から本土の距離が離れていたために、日本海軍機によるアメリカ本土空襲などの、数回に渡る日本海軍による西海岸への攻撃以外には本土に被害を受けることなく、事実上の連合諸国への軍事物資の供給工場として機能し、併せて日本やドイツなどの枢軸国との戦闘でも大きな役割を果たした。
1945年8月には、イタリアやドイツなど枢軸国からの亡命科学者の協力を得て完成させた原子爆弾を世界で初めて実戦に使用し、日本の広島と長崎に投下した。大戦中には日系アメリカ人に対する、いわゆる日系人の強制収容などの自国民に対する人種差別的な政策も行われた。この政策に対しては、後に政府が過ちを認め、大統領が日系アメリカ人に対し正式に謝罪することになる。
連合国の戦勝国の1国となった上に、主な戦場から本土が離れていたことから国土に殆ど被害を受けなかったこともあり、大戦終結後は朝鮮戦争への連合国としての参戦も行ったものの、1950年代後半にかけて未曾有の好景気を享受することとなった。以後、世界最強の経済力と軍事力を保持する超大国として、「自由と民主主義」の理念を目的もしくは大義名分として冷戦期及びそれ以後の外交をリードする事になる。しかしそれは様々な矛盾や建前と実態との乖離を伴っていた。
戦後すぐに始まった冷戦による共産主義への脅威を受けて、一時ジョセフ・マッカーシー上院議員らに主導された赤狩り旋風(マッカーシズム)が巻き起きた。