憲法を起草した者達は、予測される国の成長に応じた変化に対応して憲法を持続していくならば、時を追って変わっていく必要性があることにはっきりと気付いていた。しかし、誤った考えを入れたり性急に修正をしたりしないように、そのような変更は容易であってはならないとも考えていた。この考え方のバランスを取るために、全会一致というような過度に硬直したような規定では民衆の大多数によって望まれるような行動も止めてしまうので、それを避けようとも考えた。その解決策は憲法を改定する手続きを二段階にすることであった。
他の国の憲法とは異なり、アメリカ合衆国憲法の修正は、主要条項の改定や挿入ではなく、現行の条項に新しい条項を追加していくスタイルを採った。古く使われなくなった文章を消し去ったり無効にされたりした条項は無い。
アメリカ合衆国の人口動態、特に州間の人口格差の問題は、人口の4%にも過ぎない州の集まりでも90%以上によって望まれる修正を理論的には阻止できるということで、憲法の修正を難しいものにしていると指摘する者もいる。そのような極端な結果は起こりえないと感じる者もいる。しかし、これを少しでも改善しようとすれば憲法そのものを改定する必要がある。
憲法を修正する直接の方法とは別に、その実際的な効力を司法の判決や審査で変えることも可能である。アメリカ合衆国はイギリスのコモン・ローに根付く慣習法の国である。裁判所の判断は以前の事件に対する判例に基づいて行われる。しかし、最高裁の判決が現行法に対して憲法の一部が適用されていると明確にした場合、その効力はあらゆる実行面で憲法の一部という意味合いを持つことになる。憲法の発布からそれほど時を経ない1803年、マーベリー対マディソン事件の判決で、最高裁は議会の立法やその他の行動を検証しその合憲性を審査する権限があるという違憲立法審査権の原理を確立した。この原理は裁判所に持ち込まれる特別な事件に対して憲法の規定を適用する時に、その条項の意味合いを説明する権限も含んでいる。そのような事件の場合、法的、政治的、経済的また社会的条件に影響を与えるので、憲法の条文を修正することなく実際面で憲法を適応させていく機能がある。長い間に、ラジオやテレビに対する政府の規制から刑事事件を告発する権利まで、憲法の条文そのものを変えないまでも、一連の判決が憲法の条項が解釈される筋道を変えて来た。
憲法の条項を実施に移すために成立した議会の法律、あるいはその実行の条件を変更するために採択された法律は、憲法の条文に与えられる意味合いを拡げたり微妙ではあるが変えたりする効果が有る。これまでにも連邦政府の多くの実行部局が作る規則や規制はそのような効果を挙げてきた。異議申し立ての場合は、裁判所の意見で、そのような規制や規則が憲法の条文に与えられる意味合いに合致しているかを審査される。
第6条は憲法と憲法に基づいて作られるアメリカ合衆国の法律と条約を国内の最高法と定義し、「各州での判断はそれらに基づいて行われ、各州の法や憲法に含まれる如何なるものもそれらと矛盾してはならない」としている。また連合規約の下で作られた国債を有効とし、あらゆる議員、政府の役人、および判事は憲法を指示する誓約または確認をすべきこととしている。これは州の憲法や法律が連邦憲法と矛盾してはならないことを意味し、もし論争になった場合は、州の判事が州の憲法や法律に対して連邦の憲法や法律を上位に置いて判断することを法的に強制したものである。
第6条はまた、「アメリカ合衆国では如何なる役職もまた公的な信託もその資格付けのために宗教的な審問を要求してはならない」としている。
第7条は憲法の批准に関する要求事項を定めている。この憲法は少なくとも9つの邦(当時は13邦のみが存在)が特に批准の目的のために招集された各邦の会議で批准されるまでは有効にならないとした。
各州代表の署名
修正条項はAmendment I(修正第1条)?Amendment XXVII(修正第27条)まである。最初の10か条は権利章典と呼ばれ、同時に修正が成立した。その後の17か条は異なる機会に修正が成立した。
修正第1条-第10条 権利章典ウィキソースに ⇒権利章典(英文)の原文があります。
詳細は権利章典 (アメリカ)を参照アメリカ国立公文書記録管理局に保管されている権利章典
権利章典はアメリカ合衆国憲法の最初の修正10か条である。1789年から1791年の間に成立し、すべて連邦政府の権限の規制に関している。これらは州レベルの憲法批准会議やトーマス・ジェファーソン(フランス駐在大使であったために憲法制定会議の代議員ではなかった)のような著名な個人による批判に対応して追加された。これらの批判はさらなる制限がないと強い中央政府が専制的なものなるということであった。これらの修正条項は1789年に全部で12の修正条項の部分として議会により提案された。1791年までに規定以上の州が10か条を批准し、権利章典は憲法の一部になった。
権利章典は当初、各州には適用されないという意図で作られたというのが通常の理解であった。ただし、具体的に連邦政府やその実行部局に特に言及された修正条項(例えば、修正第1条に対し、建国当初の幾つかの州で州の宗教を定めている)を除き、条文自体にそのような説明は無い。それにも拘らず、各州には適用されないという一般的な解釈が1868年まで続いた。憲法修正第14条が成立した時に次のような規定でこのことを明らかにした。
如何なる州もアメリカ合衆国の市民の特権あるいは免除権を制限する法を作り、あるいは強制してはならない。また、如何なる州も法の適正手続き無しに個人の生命、自由あるいは財産を奪ってはならない。さらに、その司法権の範囲で個人に対する法の平等保護を否定してはならない。
最高裁はこの条項を権利章典の全部ではないものの大部分が州にも拡大して適用されるという解釈をした。それにも拘らず、州と連邦政府のバランスは最高裁で争われることになった。
権利章典は上記のように1789年に提案された12の修正条項のうち後の方の10か条であった。12か条のうちの第2番目の条項は議員に対する報酬に関するものであり、2世紀以上後の1992年になってやっと批准され、憲法修正第27条となった。1番目の条項は今でも州議会による批准の対象のままであり、10年毎の国勢調査で下院議員の定数を調整するものである。この提案に対して最近の批准を行った州は1792年のケンタッキー州であり、州に昇格して最初の月のことであった。
修正第1条:信教、言論、出版、集会の自由、請願権
修正第2条:人民の武装権
修正第3条:軍隊の舎営に対する制限
修正第4条:不合理な捜索、逮捕、押収の禁止
修正第5条:大陪審の保障、二重の処罰の禁止、適正手続き、財産権の保障
修正第6条:陪審、迅速な公開の裁判その他刑事上の人権保障
修正第7条:民事事件における陪審審理の保障