イーグルに戻ったのはオルドリンが最初だった。二人はフィルムと22kg以上の月面の物質が入った2個の標本箱を、月面機材コンベアと呼ばれるフラットケーブルの滑車装置で月着陸船のハッチまで苦労しながら持ち上げた。それからアームストロングは梯子の3段目まで飛び上がり、着陸船内に戻った。
月着陸船の生命維持環境内に移った後で、二人は生命維持装置のバックパックや月面用ブーツ、ハッセルブラッドのカメラ、その他の装備を投棄して、月軌道に戻るために月着陸船の上昇ステージの重量を軽くした。その後、彼らはイーグルの上昇ステージで離陸し、月軌道上にいる司令船コロンビアのパイロット、マイケル・コリンズと再合流した。イーグルは切り離され、月軌道上に残された。後の NASA の報告書では、イーグルの軌道は徐々に下降して月面上の不明な位置に衝突したと書かれている。
月面に約21時間半滞在した後、二人は20.87kgの月の標本とともにコリンズが待つコロンビアに戻った。月面を歩いた二人は月レーザー測距実験に使われる反射板などの科学機器を残して月面を去った。彼らはまたアメリカの国旗やその他の記念品も残してきた。その中には二つの地球(東西半球)と銘文、飛行士とリチャード・ニクソンのサインが刻まれた銘板も含まれていた。銘文は以下の通りである。Here Men From Planet EarthFirst Set Foot Upon the MoonJuly 1969 A.D.We Came in Peace For All Mankind.<訳>地球から来た人間、ここに月面初の足跡を記す西暦1969年7月全ての人類を代表し、平和のうちに来たれり
三人の飛行士は7月24日に地球に帰還し、英雄として歓迎された。着水地点は北緯13度19分、西経169度09分、ウェーク島の640km南南西で、回収船 USS ホーネットから24km離れた位置だった。
司令船は現在、ワシントンD.C.のスミソニアン国立航空宇宙博物館に展示されている。
豆知識
NASA 内部で使われた計画文書の中には、司令・機械船と月着陸船をそれぞれ "Snowcone"(かき氷)と "Haystack"(干し草の山)と書いているものがある。これらは報道機関に公表される前に密かに直された。
月着陸の直後、船外活動の準備を始める前にオルドリンは次のような交信を行なった。
こちらは月着陸船パイロット。この機会に私は、これを聞いている全ての人々にお願いしたい。一息ついて、ここまでの数時間に起きたことを深く考え、それぞれ自身のやり方で感謝の意を表してほしい。その後、彼は一人で聖餐式を行なった。当時 NASA は、アポロ8号のクルーが創世記の一節を読み上げたことに異議を唱えたマダリン・マレー・オヘアによる訴訟をまだ争っていた。この訴訟でオヘアは宇宙飛行士が宇宙で宗教活動を行なうことを禁止するよう求めていた。このことがあったため、(監督教会の信者であった)オルドリンはこのことに直接触れることは避けていた。彼は自分の計画を秘密にして妻にも話さず、ミッションの後数年間も公表しなかった。
いくつかの本には、初期のミッションスケジュールではニール・アームストロングではなくバズ・オルドリンが最初に月に立つ人間とされていたと記されている。これらの本ではまた、オルドリンが自分が最初に月に降り立つよう活発に働きかけを行なっていたとしている。しかし月着陸船のハッチを開くと、月着陸船パイロットの動線は一部ふさがれる。この影響によって、月着陸船パイロットよりは船長の方が先に着陸船から出て月面に降りることになった。
ニール・アームストロングが残した足跡のレプリカがテキサス州ヒューストンにある Transquillity Park(静かの海公園)にある。この公園は最初の月着陸から10年後の1979年に作られた。
オーストラリア映画『月のひつじ (The Dish)』では、ニューサウスウェールズ州パークスの電波望遠鏡によって月面探査の映像がどのように受信されたかが(若干脚色されて)描かれている。
HBO のテレビシリーズ『人類、月に立つ (From the Earth to the Moon)』によれば、アームストロングが月面に降り立った時に何を言うべきかについてマイケル・コリンズは、「もし度胸があるなら、『何てこった、何だあれは?』と言ってから叫び声を上げてマイクを切ってみるといいよ」と勧めたという。
日本航空の国際線旅客機の運行乗務員が、ミッドウェー諸島付近にて大気圏内を時速2000km/hで落下中のアポロ11号を目撃した。撮影に夢中で客室への放送は忘れたという。
伝承
ニール・アームストロングは以前はタータン・チェックの服を着なかった場でもタータンを着ているように見える。彼が月に行った時、彼の宇宙服にはアームストロング柄のクラン・タータンの小さな端布が縫い付けられていた。
彼が月に身に付けていったものとして、特別にダイヤモンドで飾られたアストロノート・ピンがある。これは元々アポロ1号クルーの妻達から、不整脈のために地上勤務となった宇宙飛行士ディーク・スレイトンに贈られたものである。このピンはアポロ1号とともに宇宙に運ばれ、帰還後にスレイトンに贈られる予定だったが、アポロ1号の火災事故のために、クルーの葬儀の後で未亡人達からスレイトンに贈られたものだった。スレイトンはこのピンバッジをアームストロングに手渡し、彼はこれを静かの海に残してきた。
アポロ11号を巡っては主に二つの陰謀論がある。アポロ計画陰謀論も参照のこと。
一つは月着陸がでっち上げだったとする説である。この説は一般的には無視されているが、NASAが火星着陸のでっち上げを試みる姿を描いた映画『カプリコン1』(1978年)の公開以来、テレビやネットなどでも取り上げられるようにもなり、この説を信じる人々もいる。
第二は、飛行士達は月面での活動中何者かに監視されており、また月面で異星人を目撃した、という都市伝説である。この説を紹介した Someone else is on our Moon という本が出版されてから、この説も信じるものもいる。
また、「1980年代にモロッコで行なわれた調査で、多くの人々が人類が月に行ったとは考えていないという結果が出た。これは陰謀論を信じているためではなく、単に月着陸のことを聞いたことがなかったからだ」― という伝説もある。
月着陸船の離陸の際、アポロ11号は月面に立てた星条旗を噴射によって吹き飛ばしたという説がある。
関連項目
アポロ計画
外部リンクウィキメディア・コモンズには、 ⇒アポロ11号 に関連するマルチメディアがあります。
⇒NASA: Apollo Lunar Surface Journal
⇒Apollo 11 entry in Encyclopedia Astronautica
USGS: ⇒Apollo Mission Traverse Maps
⇒Description of The Lunar Module Computer
⇒Record of Lunar Events