アポロ11号
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ミッションのハイライト

最初のアポロの着陸地点は静かの海の南部、サビーネDクレーターの南西約20kmの地点が選ばれた。これは一つには、月面への落下観測を行なった探査機レンジャー8号やサーベイヤー5号、月面マッピングを行なった探査機ルナ・オービターなどの調査によって、この付近が比較的平坦で滑らかな地形であることが分かり、着陸や船外活動にとって大きな障害がないだろうと考えられたためである。アームストロングは着陸直後の交信でこの着陸地点を「静かの海基地 (Tranquillity Base)」と命名した。

アポロ11号は1969年7月16日ケネディ宇宙センターから打ち上げられた。地球を1周半周回した後、司令・機械船がサターンVロケットの最終段から切り離されて逆向きに回転し、最終段の月着陸船アダプタに格納されている月着陸船とのドッキングを行なった。


1969年7月20日、地球から見て月の裏側に位置する月軌道上で月着陸船イーグルは司令船コロンビアから切り離された。コリンズは一人でコロンビアに残り、旋回するイーグルを慎重に点検した。その後間もなくしてアームストロングとオルドリンはイーグルのエンジンに点火し、降下を開始した。しばらくして二人は、自分達が予定よりも長く飛んでいることに気づいた。イーグルは予定の降下軌道に比べて約4秒分遠い位置に達しており、当初の着陸地点から数マイル西に着陸することになった。月着陸船が降下する間、着陸船の航法誘導コンピュータは何度か「プログラム警告」を表示した。これらの警告のためにクルーは降下中に船外に注意を払う余裕がなくなった。テキサス州ヒューストンにある NASA のミッション管制センターでは、スティーブ・ベイルズという若い管制官が、警告表示は出ているが降下を続けて問題ないことを飛行責任者に伝えた。二人の飛行士は船外へと注意を戻すと、コンピュータが月着陸船を大きなクレーターの周囲に大きい岩石がたくさん転がっている場所へと誘導していることに気づいた。この時点でアームストロングは月着陸船を手動操縦へと切り替え、7月20日午後4時17分 (EDT) に着陸した。着陸した時、残りの燃料は30秒分以下だった。月面上での最初の言葉はアームストロングによる " Houston, Tranquility Base here. The "Eagle" has landed "(ヒューストン、こちら静かの海基地。『鷲』は舞い降りた)というものだったと広く伝えられているが、実際には月着陸船の脚に取り付けられた接地センサーが作動した時にオルドリンが言った、" Contact Light "(接触ライト点灯)という言葉だった。月面でポーズを取るバズ・オルドリン。ニール・アームストロングがヘルメットの遮光板に映った自分とオルドリン両方を撮影した写真

降下の際にコンピュータが表示したプログラム警告は「実行オーバーフロー」というもので、コンピュータが割り当てられた計算を時間内に完了できなかったことを示すものだった。この原因は後に、月着陸船の司令船ランデブー用レーダーが降下中も出されたままになっていたため、不要なレーダー用の計算処理のためにコンピュータが予定外の時間を消費したためであったことが判明した。管制官のスティーブ・ベイルズはプレッシャーの中で GO 判断を出した功績に対して大統領自由勲章を授与されている。

着陸から6時間半後の2時56分(UTC)、アームストロングは月面に降り立って、有名な" That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind. "(これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとって大きな飛躍だ)という言葉を述べた。続いてオルドリンも月面に降り、二人は月面を掘削してコア・サンプルを採ったり写真撮影を行なったり岩石を採集したりして約2時間半の間滞在した。

Buzz Aldrin steps onto the Moonファイルの情報

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着陸・船外活動準備

彼らは当初、イーグルの2つの三角窓から着陸地点付近を調べ、初期アポロ科学実験パッケージ (Early Apollo Scientific Experiment Package, EASEP) とアメリカ合衆国国旗の設置場所を検討した。イーグルの窓の視野は約60度だった。船外活動の準備には予定より2時間余計にかかった。アームストロングは最初、携帯生命維持装置を着陸船のハッチから押し出すのに苦労した。月飛行を2回経験したベテラン飛行士のジョン・ヤングによると、月着陸船を再設計してハッチを小さくした際に、それに合わせて生命維持装置のバックパックを再設計しなかったためだという。このため、アポロの飛行士の最大心拍数が月着陸船の出入りの際に記録されている例がいくつかある。1969年7月16日、アポロ11号を乗せて打ち上げられるサターンVロケット


船外活動

アームストロングの胸の部分には遠隔制御ユニットが取り付けられていたため、彼は自分の足を見ることができなかった。9段の梯子を降りる際にアームストロングはDリングを引いて、イーグルの側面に畳まれていたモジュール装置格納アセンブリ (MESA) を展開し、テレビカメラを作動させた。最初の画像の送信には低速度走査テレビジョンシステムが用いられ、アメリカのゴールドストーンで受信されたが、オーストラリアのハニーサックル・クリークで受信した映像の方が画質は良かった。数分後にテレビ映像は通常のテレビジョンシステムに切り替えられ、中継局はオーストラリアのパークス天文台にあるより高感度の電波望遠鏡に変更された。いくつかの技術上また天候上の問題はあったものの、最初の月面船外活動を映した白黒のゴーストの多い映像は受信されてすぐに地球上の6億人以上のもとに放送された。

アームストロングは「非常に細かい…ほとんど粉のようだ」と月面の様子を伝えた後、イーグルの脚から降りて、地球以外の世界に降り立った最初の人類として歴史に名を残した。彼は、地球上の 1/6 の大きさの月の重力の中で動くのは「シミュレーションよりもずっと簡単だ」と報告した。

アポロ11号は、1960年代の終わりまでに人類を月に着陸させるというジョン・F・ケネディ大統領の言葉を実現したのに加えて、アポロシステムの技術テストという側面も持っていた。そのため、アームストロングは技術者達が着陸後の状態を判断できるように月着陸船の写真撮影を行なっている。彼はその後、杖に付いている標本袋でとっさに月の土を集めた。彼は袋をたたんで右の太腿にあるポケットに押し込んだ。これから先、何らかのトラブルがあって標本採集前に月面を離れなければならない状況になっても、最低限度の標本とするためだったとされている。彼は MESA からテレビカメラを外して全景をパノラマ撮影し、月着陸船から12m離れたところの三脚に設置した。この時、テレビカメラのケーブルの一部が巻いたままになっていたため、船外活動中にこれに何度かつまづくことになった。

オルドリンも月面での活動に加わり、彼は左右の足を合わせてカンガルーのように跳ねてみるなど、歩き回る方法を試した。生命維持装置を背負っているために後ろに倒れがちになるが、二人ともバランスを取るのに苦労はしなかった。結局、移動には大股歩きが好んで使われるようになった。歩く時には6、7歩先まで動き方を考えておく必要がある、と彼らは報告している。月面の細かい土砂は極めて滑りやすかった。オルドリンは、日なたからイーグルの陰に移動しても宇宙服の中では温度変化は生じないが、ヘルメットは日なたではより温かくなるので日陰の方が涼しく感じる、と述べている。


飛行士二人は一緒にアメリカ合衆国の国旗を立てた。月の地面は非常に堅く、旗竿は20cmしか差し込めなかった。続いて彼らは大統領リチャード・ニクソンからの電話に応対した。

MESA には安定した作業台がなく、また日陰に位置していたため、作業はいくらか遅れた。彼らが作業を行なうと灰色の塵が巻き上がって宇宙服の外側や耐熱服が汚れた。

彼らは受動型地震計やレーザー測距反射板が入っている EASEP を展開した。続いてアームストロングは月着陸船から120mほど離れて東側のクレーターの写真を撮った。オルドリンは地面のコア・サンプルを2本採集した。彼はコア採集用の管を打ち込むために地質ハンマーを使った。アポロ11号のハンマーが使われたのはこの時だけだった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki