アジア通貨危機
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フィリピン

1997年のヘッジファンドによるバーツの空売り開始によりフィリピン政府は同年5月にフィリピン中央銀行の公定歩合を1.25%まで上げた。同年の6月19日には更に2ポイント引き上げた。タイ政府が同年7月2日にバーツに変動相場制を導入すると逆に、通貨ペソを守るため翌日物金利(overnight rate)を15%から24%まで上げた。


香港

香港も通貨香港ドル(以下HK$)をアメリカドルに固定していた(7.8HK$/$)。HK$も他のアジア各国と同じく1997年10月に打撃を受けた。しかし、香港金融管理局は10億ドル以上を投入し、HK$を守り、変動相場制への移行を回避した。香港の株式市場はますます不安定になり、同年10月20日から23日までの間にハンセン指数は23%まで下がった。同年8月までに翌日物金利(overnight rate)は8%から23%まで上げられた。香港は単なるドルペッグ制ではなく、カレンシーボード制といい、自国の金融政策を放棄し、香港ドル発行の際には米ドルの裏づけが必要であったためで、香港ドルの大量の売りがあると、香港ドルは米ドルへ交換され、結果的に市中に出回る香港ドルの流通量が少なくなり、翌日物金利が上昇し、金利上昇により、売りが耐えられなくなるためである。


韓国

韓国マクロ経済ファンダメンタルズが十分であったが、一方で金融部門では不良債権を抱えてしまった。過剰な借金は経営判断で大きなミスを招き、経営交代を招いた。起亜自動車倒産を皮切りに経済状態が悪化。IMFの援助を要請する事態となった。

アジアの市場に異変を感じたムーディーズ1997年7月、韓国の格付けをA1からA3まで落とし、同年の11月にはさらにBaa2にまで格を落とした事で、すでに落ち込んでいた韓国の証券取引市場を更に冷え込ませて、韓国の経済を不振に陥れた。

IMFの指導を受け入れる前、それまで反日感情を剥き出しにした運営を続けてきた金泳三政権はその日本から単独金融支援を獲得して事態を彌縫しようとつとめたが、日本からはにべもなく拒絶された。

ソウルの証券取引は同年11月7日に4%も落ち込み、翌日には一日の株価変動としては、史上最大の7%の下落を記録した。この後IMFがしっかりとした再建を行うかどうかの不安感も災いし、同年同月の24日には更に7.2%落ち込んだ。そして、同年末に韓国はデフォルト寸前の状況にまで追い込まれた。これによりIMFが韓国の経済に介入し、現代グループなどに対して財閥解体が行われた。


マレーシア

マレーシア1997年までにGDP(国内総生産)の6%にも及ぶ膨大な借金を抱えていた。同年7月にはマレーシアの通貨リンギットがヘッジファンドによる空売りの打撃を受け、同年8月17日、管理された変動相場制(事実上の固定相場制)から変動相場制へ移行した。

1997年始めに1ドル=2.5リンギット程度だったレートが年末には1ドル=5リンギット程度と50%減価した。これを受けS&P(スタンダード・アンド・プアーズ)の国債格付けが下がった。1週間後には、マレーシア最大のメイバンクの格付けが下げられ、同じ日にクアラルンプール証券取引所は1993年以来の最大の856ポイントもの落ち込みを記録した。同年10月2日には再びリンギットが下落し、マハティール首相は資産のコントロールを発表した。しかし、マハティール首相が経済建て直しのため道路・鉄道開発、パイプライン計画を発表した同年の暮れには再三のリンギット値下がりがあった。

翌年の1998年9月、リンギットはドルペッグ制へ移行し、1ドル=3.8リンギットとなった。

再生計画にも関わらず1998年度は経済が落ち込み、建設業は23.5%、工業は9%、農業は5.9%落ち込み、GDPは実に6.5%下がった。


インドネシア

金融事情も良好で、200億ドル以上の外貨準備があり、更に90億ドル以上の貿易黒字を加え、インドネシアはタイと違い緩やかなインフレーションを見せていたため、1997年には通貨危機に見まわれなかった。更に、インドネシアの企業はドル建てで資金調達をしていたため、ドルが上昇した時も当初は逆にプラスに作用した。

しかし、同年の1997年7月にタイがバーツを変動相場制へ移行したとき、インドネシアの通貨局はインドネシア通貨、ルピアの(trading band)を8%から12%に固定するとルピアは危機に見舞われた。同年8月にはルピアは変動相場制へ移行するが、これがルピアの値下がりを早めた。ここでIMFは230億ドルの支援を約束するが、法人負債がかさんでいることに、ルピアの激しい空売りなどに不安感があり、更に下がり続け、同年9月にはジャカルタ証券取引所が史上最低を記録した。これにより格付け団体ムーディーズはインドネシアの株のグレードを下げた。

1997年の8月に通貨危機が始まったにもかかわらず、インドネシアにおいて11月に通貨危機が激しくなったのはインドネシアの企業が夏期収支報告書を見てから初めて対策をとったからだと言われている。インドネシアの企業は前述の通り、ドル建てで負債を建てていたため、ルピア相場から見て借金が高くなり、更にルピア相場が落ちることを恐れてドルを買い込んだ。

通貨危機は国内にインフレーションを起こし、急激な食品価格の上昇とそれに対する暴動を招いた。32年に渡り独裁者としてインドネシアを支配していたスハルト大統領はインドネシア銀行の最高責任者を解任したが、収まらず、結局スハルトは辞職し、ハビビが新しく大統領に就いた。


中国

中国では外国企業の進出が多く、金融システムにも問題があったにもかかわらず、国内全体の預金がほとんど国内口座にあったうえ厳しい規制があったため、あまり影響を受けなかった。

当時、中国がいつ人民元の切り下げを行うかに多大な関心が集まっていたが、とうとう切下げは行われなかった。このとき、中国が切り下げを行えば通貨危機は更に拡大していた可能性もある。


日本とアメリカ

日本アメリカには経済恐慌などの危機は発生しなかったが[2]、深刻な経済的ダメージがあった。

アジアでも特に著しい経済力を持つ日本は、大口取引先である地域の通貨危機の打撃を正面から受けた。バブル崩壊後、ようやく内需主導の回復途上にあった日本経済だが、自民党橋本政権下における緊縮財政にアジア通貨危機が追い打ちをかけ1998年には遂に実質マイナス成長に転じた。以後、長く続いた日本のデフレの要因の一つとしてこのアジア金融危機を一因としてあげる経済学者も多い。

アメリカでは1997年10月27日、アジア経済への不安から、ダウジョーンズの工業は554ポイント(7.2%)の株価下落を記録した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki