選考はアメリカの映画産業従事者の団体、映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の会員の無記名投票が行われ、所定の賞を授与される。
アカデミー賞は、前年の1年間にノミネート条件(ロサンゼルス郡内の映画館で連続7日以上の期間、有料で公開された40分以上の長さの作品で、劇場公開以前にTV放送、ネット配信、ビデオ発売などで公開されている作品を除く、など)を満たした映画作品について扱われる。
投票権を持つ映画芸術科学アカデミー会員は、大部分がハリウッドの業界関係者による編成であり、新聞記者や映画評論家など公平な立場で判断できる分野の会員が少ないのが特徴。各賞の投票についても、例えば「アカデミー監督賞」であればハリウッドで働く映画監督の会員がノミネート作品選定に投票するなど、賞に応じた業務に携わる会員が担当する(なお、作品賞のノミネートおよび各賞ノミネート発表後の本選の投票は全会員が行うことができる)。
最終投票は授賞式の一週間弱前に締め切られ集計されるが、結果は厳重に封印されて、大手会計事務所のプライスウォーターハウスクーパースの金庫に保管され、結果書類は当日、事務所の職員2人が授賞式会場に直接持ち込む。(生中継では、会場に入っていく会計事務所の職員が映されることもある。)賞の授与担当プレゼンターがステージで開封するまでは、外部へは一切知らされない。
受賞結果について、当初は報道の関係上マスコミには事前通達してあったが、1939年に『風と共に去りぬ』が作品賞を受賞した際に、一部新聞が主宰者との協定を破って前日に抜け駆け報道をしたため、翌年より前記会計事務所の管理するシステムとなり、今日に至る。
アカデミー賞はハリウッドの映画業界関係者が選考を行うことから、各賞の選出については、アメリカの国情や世相などが色濃く反映され、必ずしも芸術性や作品の完成度の高さでは選ばれない。例えばカンヌ国際映画祭などの著名な国際映画祭で大賞を受賞した作品が、アカデミー賞ではノミネートもされないことが多いのは有名。故に、どうしても選出作品の足並みが揃ってしまう他の国際映画祭では見られない、独特の傾向と盛り上がりを見せる映画祭である。
授賞式は毎年2月の最終もしくは3月の第1日曜日にハリウッドのコダック・シアターで行われる。会場への通路は赤い絨毯で装飾され、一般に「レッドカーペット」とも呼ばれている。
出席は招待客のみで、チケットの販売は行われておらず一般人は出席できない。
主演男女・助演男女の各賞のプレゼンター(賞の授与者)は、基本的に前年度の受賞者が反対の性の賞(前年の主演男優賞受賞者が翌年の主演女優賞)に対して行うことが慣例となっているが、支払われるギャランティはなく、あくまでも無償奉仕である。
第66回のクリント・イーストウッド、第67回のスティーヴン・スピルバーグ、第68回のロバート・ゼメキス、第69回のメル・ギブソン、第80回のマーティン・スコセッシのように、近年は監督賞プレゼンターを前年度の受賞者が担当している。
スピーチは45秒以内と制限されている。これは、第15回に主演女優賞を受賞したグリア・ガースンが自分の生い立ちまで話し始めてしまい、実に5分半もスピーチしたためである。以来、時間制限が導入されているが、第73回のジュリア・ロバーツは4分以上、第74回のハル・ベリーは約5分と、感激の余り制限を無視する人もいる。
エピソード
平均的な授賞式の時間は約3時間半。最長記録は第72回の4時間3分。
授賞式の延期
第10回 - 大雨と洪水により式典が1週間延期された。
第40回 - 1968年4月4日、キング牧師が暗殺される。式典に出席予定だったルイ・アームストロング、シドニー・ポワチエらが葬儀に参列するため、2日延期された。
第53回 - 1981年3月30日、レーガン大統領の狙撃事件が発生。式典で大統領のメッセージを流す予定だったため1日延期された。
第10回の授賞式で、舞台公演中だったために式典を欠席していた、助演女優賞を獲得したアリス・ブラディ。代理人として別の男性が壇上に上がりオスカー像を受け取ったが、この男性はブラディとは無関係で、そのまま像を持ち去ってしまったという。
第46回(1973年度)授賞式の最中、全裸の男が壇上に乱入し、生放送が一時中断されるというハプニングが発生。司会のデヴィッド・ニーヴンが場を取り成したが、2002年の授賞式で主演男優賞に選ばれたエイドリアン・ブロディが、同賞プレゼンターのハル・ベリーと熱烈なキスをする場面が放送された事、あるいは2004年2月に第38回スーパーボウルにおいてジャネット・ジャクソンが生放送で歌っている最中に胸を露出する[1]といった不祥事があったため、2005年の中継からは5秒遅らせて放送されている。^ ただし後に故意であった事が判明した。
賞はいくつかの部門に分かれている。
部門
作品賞 (1928年?)
初期はドラマ部門、喜劇部門など、現在のゴールデングローブ賞のように、内容によって分かれていた。