1958年(昭和33年)11月より、国鉄初の特急形電車である151系電車を用いて特急「こだま」号の運行が開始されると、速度・設備水準において、旧型の客車を用い、機関車牽引であった「つばめ」・「はと」の見劣りが目立つようになった。
そこで1960年(昭和35年)6月より、「つばめ」は車両を151系電車に置き換えて2往復(1往復は神戸駅発着)に増発され、同時にスピードアップして東京駅?大阪駅間所要6時間30分となった。従前の一等展望車は廃されたが、代わりに二等特別席車「パーラーカー」を連結した。なおこの時「はと」は「つばめ」に吸収される形で一時消滅するが、翌1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正時、東京?大阪間の電車特急として再び登場している。このとき、「つばめ」は2往復とも大阪発着となった。
1962年(昭和37年)6月の山陽本線広島電化に伴い、「つばめ」1往復は広島駅まで延長となり、東京駅?広島駅間の長駆900km弱を通し運転した。これは実質的には、前年の1961年(昭和36年)10月ダイヤ改正で新設されていた大阪駅?広島駅間気動車特急「へいわ」を立て替える形で設定されたものである(したがって、引き替えに「へいわ」は廃止された)。
この途上、山陽本線瀬野駅?八本松駅間には「瀬野八」とよばれる急勾配が存在し、広島発の上り列車についてはここを登坂する必要があった。だが、延長運転に先立って「つばめ」用の151系電車を瀬野八の区間で試験走行させてみると、途中でモーターが過熱してしまい、自力では登坂不能であった。本来平坦な東海道線仕様の車両であり、パワー不足だったのである。
やむなく営業運転では、本来自走できる電車列車でありながら、補助機関車を後部に連結して押し上げるという措置を採らざるを得なかった。補機には旅客列車用の高速電気機関車であるEF61形が充当され、広島駅から八本松駅まで後押しを行った。
1964?1975年 山陽本線・鹿児島本線電車特急「つばめ」・「はと」
1964年(昭和39年)10月の東海道新幹線開業後、「つばめ」・「はと」は新大阪駅?博多駅間に運転区間を変更、新幹線と接続し、「つばめ」・「はと」・「かもめ」の各列車による九州直通の昼行特急群を形成した(三列車は総括して「三羽がらす」とも呼ばれた)。当初は東海道線用の直流電化区間用の電車151系をそのまま使用し、交流電化区間である九州島内にはEF30形(関門トンネルの区間のみ)とED73形電気機関車牽引で乗り入れた。また、瀬野八での補機連結も続けられた。機関車牽引区間での車内電源は電源車サヤ420形を間に挟んで確保していた。このサヤ420形は421系のパンタグラフ付電動車モハ420形3両を早期落成させて電源車としたものである。
翌1965年(昭和40年)10月、「つばめ」は名古屋駅?熊本駅間の特急に変更。「つばめ」史上で最長距離を走ることになった。同時に「つばめ」・「はと」の車両は交直両用型の481系に置き換えられる。この結果、交流電化区間に乗り入れられるようになると同時に、瀬野八での補機連結も不要になり、自力走行による全区間直通運転が可能となった。役目を終えたサヤ420形は当初の予定どおりモハ420-21?23となった。
1968年(昭和43年)10月以降は、「つばめ」・「はと」に寝台電車581系・583系も用いられるようになる。この頃から「つばめ」・「はと」は共に「特別な列車」から「大衆列車」に性格を変化させ、増発も図られた。
1972年(昭和47年)3月、山陽新幹線岡山駅開業により、「つばめ」は運転区間を岡山駅?博多駅・熊本駅間、「はと」は岡山駅?下関駅間とする。半年後の同年10月、「つばめ」・「はと」は「しおじ」と共にエル特急に指定される。
1973年(昭和48年)10月、「つばめ」は運転区間を西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)まで延長。
山陽新幹線博多駅開業に伴う1975年(昭和50年)3月10日のダイヤ改正で、「つばめ」・「はと」は列車・名称とも廃止された。国鉄における「つばめ」の歴史は、ここで幕を下ろす事となった。
1992?2004年 鹿児島本線電車特急「つばめ」・「ドリームつばめ」783系「つばめ」787系「つばめ」
「つばめ」の名は1975年(昭和50年)以降、「この名称に釣り合うだけの格式のある列車がない」という理由から、定期運転される列車の愛称には用いられることのないままに推移した。その間、復活運転と称し、東海道線等で臨時列車として運行された例が幾度かある。詳細はここを参照されたい。
国鉄民営化後の1990年代に至り、JR九州が「つばめ」の名称を再び起用した。同社はこれに先立ち、他のJR各社からわざわざ事前の了承を得るという手続きを踏んでいる。「つばめ」という愛称の重みを物語る逸話である。なお「はと」の名は、定期列車では現在に至るまで復活していない。
1992年(平成4年)7月15日、787系電車落成と共に、西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)発着の特急「有明」を「つばめ」に改称し、787系を投入した。
787系電車の開発にあたっては、「つばめ」にふさわしい格式を与えることが目標とされた。1970年代以降在来線では新規形式の食堂車が途絶していたが、本系列では久方ぶりの食堂車形式として半室ビュフェ車サハシ787形が登場した。また、往年の「つばめガール」を彷彿とさせる女性乗務員「つばめレディ」が搭乗し、グリーン車へのシートサービスも行われた。
この時点での運転区間は門司港駅・博多駅・熊本駅?西鹿児島駅間で、本数は博多駅発着が11往復、門司港駅発着が2往復、熊本駅発着が1往復であった。