つばめ_(列車)
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1932?1945年 南満州鉄道急行「はと」

中国における日本の国策会社であった南満州鉄道(満鉄)は1932年(昭和7年)、大連?長春満州国成立に伴い首都となり、同年“新京”に改名)間を運行していた急行列車に「はと」と命名した。

当初は満鉄を代表する優等列車であったが、1934年(昭和9年)11月により高速で高級な設備を備えた特急「あじあ」が登場し、代表列車の座は明け渡した。しかしその後も速度向上は行われ、1939年(昭和14年)11月時点では大連?新京間を10時間20分、表定速度68.4km/hで運行された。

その後の第二次世界大戦下における戦況の悪化により、1943年(昭和18年)2月に「あじあ」が廃止され、「はと」も速度低下する。しかし「はと」は、1945年(昭和20年)8月のソ連軍による満州侵攻時まで運行を継続した。


太平洋戦争後の展開


1950?1960年 東海道本線特急「つばめ」・「はと」青大将塗色のEF58形「つばめ」に使用されたマイテ39形

戦後、1950年(昭和25年)1月に、東京駅?大阪駅間特急「へいわ」(1949年(昭和24年)9月登場、戦後初の国鉄特急)を平仮名表記の「つばめ」に改称した。愛称は戦時中の廃止から6年ぶりの登場で、戦前同様の機関車牽引特急である。

同1950年(昭和25年)6月、その姉妹列車として特急「はと」が登場する。

当初「つばめ」・「はと」は東京駅?大阪駅間に9時間を要していたが、同年10月のダイヤ改正時に戦前の「燕」と同じ8時間運転となった。

「つばめ」・「はと」ともに一等展望車を連結(マイテ39形またはマイテ49形と、マイテ58形)、リクライニングシート付の特別二等車を多数連ね、当時の日本を代表する列車となった。車内サービスに『つばめガール』・『はとガール』と呼ばれる女性乗務員を配したのも新機軸であった。

運用に際しては、上下列車とも編成の最後尾に展望車を配する必要や、また三等車スハ44形の2人がけ座席が一方向き固定式であることから、東京・大阪(西明石駅)の双方で、三角線回しと呼ばれた特殊な大回り回送を行って、全編成を方向転換させるという手間をかけた。主な牽引機はC62形C59形蒸気機関車EF58形電気機関車が使用された。

なお、大垣駅?関ヶ原駅間には、1944年(昭和19年)10月に新垂井経由で緩勾配の下り迂回線が完成しており、戦後の下り「つばめ」・「はと」はこちらを経由することで、補機を連結せずに済ませている。

1956年(昭和31年)11月の東海道本線全線電化時には、東京駅?大阪駅間を7時間30分にスピードアップした。これを機に、「つばめ」・「はと」の客車電気機関車EF58形は、従来標準色であったぶどう色(焦茶色)からエメラルドグリーンに塗り替え、イメージチェンジした。これらの編成は、その塗色から「青大将」と呼ばれて親しまれた[1]


1960?1964年 東海道本線電車特急「つばめ」・「はと」

1958年(昭和33年)11月より、国鉄初の特急形電車である151系電車を用いて特急「こだま」号の運行が開始されると、速度・設備水準において、旧型の客車を用い、機関車牽引であった「つばめ」・「はと」の見劣りが目立つようになった。

そこで1960年(昭和35年)6月より、「つばめ」は車両を151系電車に置き換えて2往復(1往復は神戸駅発着)に増発され、同時にスピードアップして東京駅?大阪駅間所要6時間30分となった。従前の一等展望車は廃されたが、代わりに二等特別席車「パーラーカー」を連結した。なおこの時「はと」は「つばめ」に吸収される形で一時消滅するが、翌1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正時、東京?大阪間の電車特急として再び登場している。このとき、「つばめ」は2往復とも大阪発着となった。

1962年(昭和37年)6月の山陽本線広島電化に伴い、「つばめ」1往復は広島駅まで延長となり、東京駅?広島駅間の長駆900km弱を通し運転した。これは実質的には、前年の1961年(昭和36年)10月ダイヤ改正で新設されていた大阪駅?広島駅気動車特急「へいわ」を立て替える形で設定されたものである(したがって、引き替えに「へいわ」は廃止された)。

この途上、山陽本線瀬野駅?八本松駅間には「瀬野八」とよばれる急勾配が存在し、広島発の上り列車についてはここを登坂する必要があった。だが、延長運転に先立って「つばめ」用の151系電車を瀬野八の区間で試験走行させてみると、途中でモーターが過熱してしまい、自力では登坂不能であった。本来平坦な東海道線仕様の車両であり、パワー不足だったのである。

やむなく営業運転では、本来自走できる電車列車でありながら、補助機関車を後部に連結して押し上げるという措置を採らざるを得なかった。補機には旅客列車用の高速電気機関車であるEF61形が充当され、広島駅から八本松駅まで後押しを行った。


1964?1975年 山陽本線・鹿児島本線電車特急「つばめ」・「はと」

1964年(昭和39年)10月の東海道新幹線開業後、「つばめ」・「はと」は新大阪駅?博多駅間に運転区間を変更、新幹線と接続し、「つばめ」・「はと」・「かもめ」の各列車による九州直通の昼行特急群を形成した(三列車は総括して「三羽がらす」とも呼ばれた)。当初は東海道線用の直流電化区間用の電車151系をそのまま使用し、交流電化区間である九州島内にはEF30形関門トンネルの区間のみ)とED73形電気機関車牽引で乗り入れた。また、瀬野八での補機連結も続けられた。機関車牽引区間での車内電源は電源車サヤ420形を間に挟んで確保していた。このサヤ420形は421系パンタグラフ電動車モハ420形3両を早期落成させて電源車としたものである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki