鴻上尚史
話題の着エロボイス!
今なら無料ダウンロード♪

[Wikipedia|▼Menu]

このページは荒らしを理由として方針に基づき、新規ユーザーおよび未登録 (IP) ユーザーによる編集が禁止されています。
半保護を解除しても問題ない状態になった場合、半保護解除を依頼してください。

鴻上尚史(こうかみ しょうじ、1958年8月2日 - )は、愛媛県新居浜市出身の劇作家演出家劇団第三舞台」主宰。2001年より劇団活動を10年間封印することを宣言し、現在はプロデュースユニット「KOKAMI@network」を中心に活動しているほか、2008年5月には虚構の劇団を旗揚げ。日本劇作家協会理事、日本劇団協議会理事を務めている。自身が代表取締役の株式会社サードステージに所属。テレビ、ラジオのマネージメントに関してはホリプロに委託している。
目次

1 経歴

1.1 演劇活動

1.2 ラジオ

1.3 その他


2 映画(監督作品)

3 舞台

3.1 脚本・演出

3.2 演出

3.3 脚本


4 主な著書

4.1 エッセイ

4.2 小説

4.3 戯曲

4.3.1 第三舞台上演作

4.3.2 その他の上演作



5 テレビ・ラジオ(レギュラー出演)

5.1 テレビ

5.2 ラジオ


6 関連項目

7 外部リンク

//


経歴


演劇活動

第三舞台KOKAMI@networkの詳細についてはそれぞれの記事を参照のこと。

愛媛県立新居浜西高等学校を卒業後、早稲田大学法学部に入学し、早稲田大学演劇研究会に所属する。在学中の1981年岩谷真哉大高洋夫らと劇団第三舞台を結成。旗揚げ公演として、ベケット作『ゴドーを待ちながら』と、当時流行していたルービックキューブをモチーフにした『朝日のような夕日をつれて』を作・演出し、大隈講堂裏の特設テントで上演した。その後、小劇場ブームと相まって、チケット即日完売、大入り満員の超人気劇団へと成長を遂げさせる。

1994年に上演した『スナフキンの手紙』で、翌1995年岸田國士戯曲賞を受賞。1997年文化庁の芸術家在外派遣研修制度でロンドンに1年間留学して、俳優教育法を学ぶ。帰国後活動を再開するが、2001年の『ファントム・ペイン』をもって第三舞台の活動を10年間封印(停止)中。現在は1999年に立ち上げたユニット、KOKAMI@networkを中心に活動している。また、2007年11月には新劇団、虚構の劇団の旗揚げ準備公演を行った(正式旗揚げは2008年5月)。

就職戦線異状なし』や『トリック』などの映画、ドラマに出演もしているが、2005年には蜷川幸雄演出の舞台『KITCHEN』に俳優として出演。KOKAMI@networkの旗揚げ公演『ものがたり降る夜』にも出演した。


ラジオ

演劇活動のかたわら、1983年10月15日から1985年3月30日までニッポン放送のラジオ深夜番組「オールナイトニッポン(金曜深夜2部)」のパーソナリティを担当し、「日比谷公園ジェンカ」「裏コピーコーナー」など伝説とも言われる独創的なコーナーを生み出した。1987年10月17日から1989年4月1日まで担当した「オールナイトニッポン(金曜深夜1部)」での「究極の選択・どっちを選ぶ」「10回クイズちがうね」といったコーナーは、他のテレビ・ラジオ番組などで取り上げられ、その遊びが流行した。ちなみに当時のギャラは1ヶ月7万円(金曜1部時代)だったと、東貴博の『ニッポン全国ラジベガス』で告白している。それでも金曜2部時代のギャラが1ヶ月3万円(金曜1部の最終回で本人が告白)だったことを考えればかなり上がっている(なおこれには異説がある。詳しくは鴻上尚史のオールナイトニッポンを参照)。

金曜1部時代には、番組内で「ドラゴンクエストが好きで好きでしょうがない」と発言したことから話が進み、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』のエンディングとフィールドの曲をアレンジし、自ら作詞とボーカルを担当し、シングルレコード/CD『ヴォーカル版 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(A面:そして伝説へ… Into The Legend、B面:冒険の旅 Adventure)を発売した。


出会い最短記録!!
B分で即アポHも可

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:23 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki