鳴尾事件(なるおじけん)は、1950年9月5日に、現在の兵庫県西宮市の鳴尾競輪場(後の甲子園競輪場)で起こった騒擾事件。
鳴尾競輪開催当日の1950年9月5日第10R、ある本命視された選手のクランクピンが外れてレース続行が不能となったことに端を発した。その本命選手がレースのやり直しを要求するも却下されレースは続行された。結果、払戻金が万車券となったため、レース直後からこれに納得出来ない一部のファンが「八百長だ!!」と抗議し騒ぎ出した。
しかし、主催者の武庫郡鳴尾村(当時。この事件の影響もあり1951年4月1日に西宮市に編入される)は事件発生後もこの件についてはファンの抗議を無視して最終レースまで「議事進行」とし、何事もなかったかのように最終レース(12R)まで実施してしまった。この主催者の対応のひどさに業を煮やしたファンは怒りが収まらず、最終レース終了後に一部が暴徒化した。
その後、元々待機していた消防車がガソリンを抜き取られた上に横倒しにされたり、車券発売窓口が襲撃されるなどした。その上、当時の木造スタンドが放火され全焼、危険なためスタンド内に待機していた車券発売窓口の女性が逃げ遅れて犠牲者が出るなど大惨事へと発展した。
更に、威嚇のため出動した一人の警察官が発砲したところ流れ弾が観客に命中し死亡したことから、より騒ぎが大きくなってしまい収拾がつかなくなり、最終的に駐留米軍も出動するほどの異常事態となってしまった。結果的に、250名もの観客が逮捕された。
この事件直後に国会で糾弾され、全国紙での社説でも「競輪を廃止せよ」と一斉に叩かれた。当時の吉田茂首相も競輪廃止をほのめかすなど、一時は競輪自体の廃止も取り立たされ、存続が危ぶまれた。鳴尾事件後、全国的に1日12R制をやめさせられ、鳴尾競輪場は甲子園競輪場と名称を改めるなどして、のちレースを再開することとなる。
のちに当時の河野一郎農林大臣が「公営ギャンブルの開催は土日に限定させるべき」という動きに出た。また、特に1960年代前半にかけて近畿でも神戸競輪場、明石競輪場、住之江競輪場など多くの競輪場が休止・廃止に追い込まれるなど、爆発的人気を誇っていた競輪に著しく暗い影を落としてしまった事件であった。事件以前は競輪を「きょうわ」、「きょうりん」と発音していたが、鳴尾事件が発生した時に語られた揶揄(「狂輪」や「恐輪」など)を避けるため、事件以降は「けいりん」に改められた。
ちなみに、近畿では岸和田競輪場でも、第9回全日本選抜競輪(青森競輪場)の場外車券を発売していた1993年7月31日(大会2日目)に暴動騒ぎが起きている。
関連項目
競輪
甲子園競輪場
カテゴリ: 競輪 | 1950年 | 日本の暴動事件
更新日時:2008年7月15日(火)18:32
取得日時:2008/10/06 13:51