魁皇博之
四股名魁皇 博之
本名古賀 博之
愛称キンタ
ゴリライモ
生年月日1972年7月24日
出身福岡県直方市
身長185cm
体重169kg
BMI49.37
所属部屋友綱部屋
得意技左四つ・寄り・上手投げ
成績
現在の番付西大関
最高位東大関
生涯戦歴925勝601敗143休(124場所)
幕内戦歴757勝482敗126休(90場所)
優勝幕内優勝5回
幕下優勝:1回
三段目優勝:1回
賞殊勲賞10回、敢闘賞5回
データ
初土俵1988年3月場所
入幕1993年5月場所
趣味ラジコン
備考
金星:6個(曙2個、貴乃花3個、若乃花1個)
2008年9月29日現在
表・話・編・歴
魁皇博之(かいおう ひろゆき、1972年7月24日 - )は、福岡県直方市出身で友綱部屋所属の現役大相撲力士。最高位は東大関。趣味はラジコン。身長185cm、体重169kg。本名は古賀博之(こが ひろゆき)。血液型はA型。
目次
1 来歴
2 取り口
3 逸話
4 略歴
5 幕内での場所別成績
6 主な力士との幕内対戦成績
7 主な成績
8 各段優勝
9 三賞・金星
10 改名歴
11 脚注
12 関連項目
13 外部リンク
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大関昇進後は豪快な相撲で地力の高さを見せ付け、横綱候補の1番手だった時期もあった。2004年9月場所に5回目の優勝を遂げ、2003年3月場所から続く日本人横綱不在に終止符を打って欲しいという期待が集まり、翌11月場所は準優勝でも横綱昇進の気運が高まっていた。しかし12日目に3敗を喫し、優勝争いから脱落したことが災いして結局昇進は見送られた。翌場所までも綱取り場所とされたが、怪我で途中休場して失敗に終わった。
2005年1月場所から2006年3月場所まで途中休場して翌場所大関角番、そして角番脱出を繰り返すようになり、大関の地位を辛うじて維持するという状況だった。特に9回目の角番となった2006年3月場所には、序盤から本来の相撲が取れず、負けが先行すると引退を示唆して、師匠の友綱と相談し負け越したら引退する決意を固めた。しかし7敗してから踏ん張り、千秋楽に朝青龍と優勝争いをしていた白鵬を寄り切って勝ち越しを決めた。
2006年5月場所以降は千秋楽まで皆勤出場の場所が増えつつも、成績は10勝すらままならず勝ち越すのがやっとの状態である。体の衰えも見て取れる程となり、いつ引退してもおかしくない状況なのだが、その割にはかなりしぶとく取っているとも言える。今現在彼を横綱候補と見る者は皆無で、今後はあと何場所大関の地位を維持出来るどうかに注目が集まっている。また2007年9月場所の番付においての35歳の大関となり戦後最高齢記録を更新、さらに2008年7月場所中に36歳の誕生日を迎え、横綱として35歳11ヶ月で引退した千代の富士の最高齢記録をも超えた。
それでも、初土俵以来20年以上に渡る現役生活、2000年9月に大関に昇進して以来8年に渡り関脇に陥落する事無くずっとその座を守り続けるなど、自身の年齢や若手力士との戦いに対して定評がある。また現役力士の中では、高見盛を凌ぐほどの、相変わらず人気の高い力士の一人である。福岡県出身だけに、福岡市で開催される11月場所での館内での声援は絶大で、対戦相手は「魁皇関にとってはホームゲーム、こちらはアウェーゲームみたいなものだ」と思うようである(現に青森県出身の元大関貴ノ浪貞博がこのような発言をした)。
1999年に結婚、子供はいない。5歳年上の妻・充子は元タレントだが、タレントになる以前はプロレスラーであった。そのためか、女子プロレス関係者の中にもファンを有する。
2007年9月場所4日目の安馬戦で、幕内通算706勝を達成。この記録は武蔵丸の706勝に並ぶもので、大関以下の力士としては1番、現役の力士としてももちろんダントツ1位の記録である。しかし、その2日後、右太腿の負傷を悪化させまたしても途中休場。11月場所は、2006年同様再起をかける場所となったが、14日目で勝ち越して11度目の角番を脱出、引退の危機から免れた。勝ち越しが決まった瞬間には、観客はその日の結びの一番よりも大きな声援を魁皇に送った。
ここ数年は途中休場しては翌場所進退をかける、というケースが非常に目立つ。特に地元の九州で行われるその年最後の11月場所は、前の9月場所で途中休場等の負け越しにより大関角番となる事が多いため、魁皇が地元の熱烈な声援を受けながら、進退をかけて相撲を取る状態となっている。
握力・腕力が強く全盛期はリンゴを握りつぶせたほどである。左四つに組んでから右からの上手投げ、小手投げを得意とするが、握力計の針が振りきれる程の怪力に頼った強引な相撲が災いして大関昇進後は腰痛など怪我に悩まされることも多い。そのため場所ごとの好不調の波が激しく、好調な時は横綱をも負かしてしまうが、不調な時は平幕にあっけなく負けることもあり、大関昇進に時間がかかったほか、何度も横綱昇進の機会を逃している。「気が優しくて力持ち」と言われるが、「怪力だが気が弱い」「蚤の心臓」と揶揄されることもある。力士の中でも大柄な体格、さらに怪力である事も相まってしばしば重戦車と比喩される。
左四つからの豪快な相撲は多くの観客を引きつけるほどの魅力があるが、右四つになるとなにもできなくなる。そのため左脇を徹底して固めて右四つを避けている。怪力の右腕から放たれる右上手投げは魁皇の代名詞で、右上手を取って負けることはほとんどない。突っ張りを手繰るのも上手く、比較的押し相撲には強いといえる。近年は怪我や体力の衰えもあり立合いの鋭さ・重さに欠ける。立合いの駆け引きや変化・引き技なども増え、「勝っても自身が首を捻る相撲」が多くなってしまっている。太ももの故障を抱えてからは上手投げが難しくなり、両差しから体格を利して一気に寄るという相撲も見せるようになる。
得意の小手投げで数々の力士の腕を怪我させたことから、四股名をもじって「破壊王(魁皇)」とも呼ばれる。