鬼頭 史郎(きとう しろう、1934年 - )は、日本の元裁判官。鬼頭史郎謀略電話事件を起こして、法曹資格を喪失した。元裁判官の弁護士鬼頭季郎は実弟。
目次
1 経歴
2 エピソード
3 註
4 関連項目
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名古屋市港区出身。愛知県立松蔭高等学校を経て法政大学法学部に進学し、在学中に草葉隆円厚生大臣の私設秘書から厚生省職員を務めた。1958年に卒業した後、1960年に法政大学大学院修士課程を修了。一旦厚生省を退職し名古屋市役所に入庁するも、慶應義塾大学大学院博士課程に進学[1]。1964年に司法試験に合格して、1967年に名古屋地方裁判所判事補に任官。以降、東京・鹿児島・京都各地方裁判所を転任する。
司法修習生時代から青年法律家協会を攻撃するなど保守的な言動が知られ、京都地裁在任中に宮本顕治(日本共産党書記長)の身分帳を網走刑務所で閲覧、コピーを自由民主党の有力派閥の許へ持ち込んたことが発覚。公務員職権濫用罪で起訴され有罪判決を受ける。裁判官弾劾裁判所の裁判でその追及が行われている最中の1976年8月4日に鬼頭史郎謀略電話事件を起こしたとされる。11月12日、国会で証人喚問されるも刑事訴追のおそれを理由として宣誓を拒絶する。弾劾裁判所では1977年3月23日に鬼頭本人が出席しないまま、罷免判決が下され法曹資格を失う。
その後、1984年に法曹資格回復裁判を弾劾裁判所に請求、翌1985年に請求が認められて資格を回復する。今まで複数の弁護士会に弁護士登録を申請しているものの、入会審査で入会を拒絶されており未だ登録はされていない。弁護士登録を認めなかった日本弁護士連合会(日弁連)の裁決を取り消すよう訴訟を起こしたが、2005年6月25日1審の東京高裁判決で房村精一(裁判長)は「原告による刑事事件が、風化したとは認められない」と述べ、請求を棄却した。そして更に鬼頭に対し「政治問題への執着など、従来から指摘された思考や行動様式を保持しており、変化は認められない」と指摘した。鬼頭はこれまでにも同様の訴訟を3回起こし、いずれも敗訴している。
2004年6月には名古屋弁護士会(後の愛知県弁護士会)に4回目の登録を申請したが、拒否された。審査請求を受けた日弁連は「弁護士会の信用を害するおそれがある」と退けた。日本弁理士会への登録申請を巡る記事でプライバシーを侵害されたとして、産経新聞社に400万円の損害賠償を求めた訴訟を起こしたが、1・2審とも敗訴した。
エピソード
名古屋地裁在任中に既婚にも関らず、女性弁護士に「既に離婚した」と嘘をついて3ヶ月間同棲。地裁が関係者に事情聴取する事態となった[2]。
法曹資格喪失後の1977年6月の第11回参議院議員通常選挙に全国区から出馬したが落選。街頭演説の際、聴衆の一人から暴行を受けた。
また1979年、映画「白昼の死角」(監督村上透)に弁護士役で出演し話題を呼んだ。
[ヘルプ]
^ 1976年10月28日参議院法務委員会での橋本敦議員の質問 ⇒[1]および10月29日付朝日新聞記事『政治家ともつながり 在学中に厚生省職員』
^ 1976年10月22日朝日新聞記事『「変な裁判官」鬼頭氏にはとかくの評判』
関連項目
鬼頭史郎謀略電話事件
三木武夫
カテゴリ: 日本の裁判官 | 国政選挙立候補経験者 | 1934年生
更新日時:2008年10月22日(水)01:05
取得日時:2008/11/19 14:41