大相撲には現在53の部屋があるが、その中には一門(いちもん)という大きな区切りがあり、現在5つある。
一門という枠組みはかつては強力で、現在は部屋別総当りである本場所の取り組みも、かつては一門系統別総当たり制であった。 一門だけで巡業を行うことも少なくなく、一門を超えて力士が交流するということもなく、またできるだけ他の一門に情報を明かさないようにしていた。
現在も、力は衰えてはいるものの、一門の枠組みは明確に存在し、2年ごとに行われる日本相撲協会の役員選挙は一門ごとに推薦を決めるほか、一部の年寄株や行司の名跡にも、襲名制限がある。
また、ある一門に所属していた親方が、別の一門に所属を変更して部屋を開いた場合、外様の扱いになる。現在は出羽海一門を破門された高砂一門の九重部屋が該当する。
例外として、1998年に高田川部屋が高砂一門を破門され、現在無所属である。
目次
1 出羽海一門
2 二所ノ関一門
3 高砂一門
4 時津風一門
5 立浪一門
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大相撲の保守本流的存在で、明治末期から大正時代に活躍した横綱常陸山谷右エ門の出羽海が一門の開祖である。規律・統制が厳しい一門で、出羽海部屋には「分家独立ご法度」の掟があり、横綱栃木山守也が春日野部屋として独立したのが唯一の例外であった。これに大阪相撲の流れを組む三保ヶ関部屋(元大関増位山大志郎)を合わせて、3家(出羽海部屋・春日野部屋・三保ヶ関部屋)の体制が長く続いた。
このご法度が解け、出羽海本家から武蔵川部屋(横綱三重ノ海剛司)の分家が認められて以降、独立が相次いだ。 現在までに、出羽海部屋(関脇鷲羽山佳和)系統からは武蔵川部屋・境川部屋(小結両国梶之助)・田子ノ浦部屋(前頭久島海啓太)の3部屋、春日野部屋(関脇栃乃和歌清隆)系統からは玉ノ井部屋(関脇栃東知頼)・入間川部屋(関脇栃司哲史)・千賀ノ浦部屋(関脇舛田山靖仁)の3部屋、三保ヶ関部屋(大関増位山太志郎)系統からは北の湖部屋(一代年寄・横綱北の湖敏満)・木瀬部屋(前頭肥後ノ海直哉)・尾上部屋(小結濱ノ嶋啓志)の3部屋が独立している。
出羽海一門から輩出された、日本相撲協会の理事長は歴代10人のうち、出羽海秀光、武蔵川喜偉・春日野清隆・出羽海智敬・北の湖敏満・武蔵川晃偉、の6人であり、このことから同一門は、相撲界随一の名門とされる。
出羽海部屋
春日野部屋
北の湖部屋
玉ノ井部屋
武蔵川部屋
三保ヶ関部屋
入間川部屋
境川部屋
田子ノ浦部屋
木瀬部屋
千賀ノ浦部屋
尾上部屋
長い大相撲の歴史の中でも新興勢力で、1960年代から勢力が急激に拡大していった一門。開祖であった横綱玉錦三右エ門が35歳の若さで現役中に死去したが、あとを継いだ関脇玉ノ海梅吉が積極的に分家独立を推奨したこともあり、他の一門と比べて結束力が弱い。現在は、新両国系・旧両国系・阿佐ヶ谷系から成り立っている。理事選では反出羽海派だった。
二所ノ関本家である両国系は、戦後二所ノ関部屋・佐渡ヶ嶽部屋・片男波部屋に分家していった。二所ノ関部屋は一代年寄の大鵬部屋(横綱大鵬幸喜)、分裂した押尾川部屋(大関大麒麟将能)に分かれた。佐渡ヶ嶽部屋からは尾車部屋(大関琴風豪規)、押尾川部屋からは阿武松部屋(関脇益荒雄広生)が独立していった。
両国系は大鵬を中心としていたが大鵬が脳梗塞で倒れてから、阿佐ヶ谷系を離れた間垣(横綱若乃花幹士 (2代))を担ぐ二所ノ関部屋・大鵬部屋(現大嶽部屋)・阿武松部屋などの新両国系、佐渡ヶ嶽部屋を中心に尾車部屋・押尾川部屋(尾車に合併)などが属する旧両国系の2系統になった。
阿佐ヶ谷系は、花籠部屋(前頭大ノ海久光)がここに部屋を構えたことに由来する系統で、二子山部屋(横綱若乃花幹士 (初代))が独立したのを始め積極的に分家独立を推し進めてきた。二所ノ関本家が反・出羽海なのに対し、親・出羽海派で一時期花籠一門として独立していたこともある。その後阿佐ヶ谷系が発言力を増したため、自然消滅している。 花籠部屋からは放駒部屋(大関魁傑將晃)が独立、さらにその放駒部屋から峰崎部屋(前頭三杉磯拓也)・芝田山部屋(横綱大乃国康)が独立している。 二子山部屋からは藤島部屋(大関貴ノ花健士)・間垣部屋・鳴戸部屋(横綱隆の里俊英)・松ヶ根部屋(大関若嶋津六夫)・荒磯部屋(小結二子岳武)・花籠部屋(関脇太寿山忠明)がそれぞれ独立したほか、一代年寄の貴乃花部屋(横綱貴乃花光司)がある。