高石真五郎

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高石真五郎(たかいししんごろう 1878年(明治11年)9月22日-1967年(昭和42年)2月25日)は、ジャーナリスト実業家IOC委員。

千葉県鶴舞町(現在の市原市)で高石四郎治の五男として生まれた。

1901年(明治34年)に慶應義塾大学法学部を卒業し、大阪毎日新聞社に入社。慶應義塾大学では野球部に所属しチームメイトに平沼亮三がいた。

1902年(明治35年)にイギリス留学。海外特派員、外国通信部長、政治部長を経て1936年(昭和11年)に編集主幹に就任。1938年(昭和14年)に会長兼主筆に就任。1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結と共に辞職。

1939年(昭和14年)にIOC委員に就任し、東京オリンピック札幌オリンピックの招致に尽力した。東京オリンピックの男子マラソン競技では、当時のアベリー・ブランデージIOC会長の秘書役の機転で会長に代わりメダル授与役を務め、円谷幸吉に銅メダルを掛けた[1]1966年(昭和41年)4月に開催されたIOCローマ総会には病身のために参加できず、招致を訴える録音テープを送った。このテープが札幌開催決定に大きく影響したとされる[2]

1961年(昭和36年)に新聞文化賞を受賞。1964年(昭和39年)に勲一等瑞宝章1966年(昭和41年)に文化功労者


脚注^ 出典:2006年2月22日 朝日新聞朝刊
^ 出典:日本オリンピックアカデミー編『オリンピック事典』1981年
カテゴリ: 日本のジャーナリスト | 日本の実業家 | 千葉県出身の人物 | 1878年生 | 1967年没

更新日時:2007年11月13日(火)22:15
取得日時:2008/11/18 18:53



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