高知城
(高知県)
天守(2007.5)
通称大高坂山城、河中山城
城郭構造梯郭式平山城
天守構造独立式望楼型 4重6階(1601年築・1747年再)現存
築城主山内一豊
築城年1603年
主な改修者山内豊敷
主な城主山内氏
廃城年1871年
遺構現存天守・御殿・櫓・門
石垣、堀
指定文化財国の重要文化財(天守など15棟)
国史跡
再建造物なし
位置 ⇒北緯33度33分38.53秒
東経133度31分53.54秒
表・話・編・歴
天守と追手門(1992.5)追手門(2007.5)詰門(2006.7)天守(2008.2)天守(2007.5)天守(2006.7)山内一豊・銅像(2007.5)板垣退助・銅像(2007.5)天守からの眺め(2007.11)
高知城(こうちじょう)は、土佐国土佐郡高知(現在の高知県高知市丸の内)にある城。
平山城であり、国の史跡に指定されている。戦国時代以前は大高坂山城と称した。
目次
1 概要
2 歴史・沿革
2.1 南北朝時代
2.2 安土桃山時代
2.3 江戸時代
2.4 近現代
3 遺構
3.1 天守
4 文化財
4.1 重要文化財
5 作品
6 観光
6.1 利用情報
7 周辺
8 関連項目
9 外部リンク
10 脚注
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城郭の形式は梯郭式平山城。高知平野のほぼ中心に位置し、鏡川と江の口川を外堀として利用している。現在見られる城は、江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成した。4層5階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したと言われている。
明治6年(1873年)に発布された廃城令や、第二次大戦による空襲を逃れ、天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されている。なお、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行以前の旧、国宝保存法における「国宝」は文化財保護法における「重要文化財」と同等のものである。
また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の一部であると伝わる部材が収蔵されている。
高知城全域は高知公園として開放されており、本丸御殿・天守は懐徳館という資料館として利用されている。高知城の周辺には、高知市役所、高知県庁、地方裁判所、地方検察庁などの行政機関や司法機関が立ち並び高知県の行政の中心地となっている(県庁舎のみ実質的には公園内にある)。また、城内には山内一豊、板垣退助の銅像がある。
大高坂城を「おおたかさ」と読むか「おおたかさか」と読むかで揉めている。なお、対になる小高坂は「こだかさ」と読む。
南北朝時代
南朝方に付いた豪族・大高坂松王丸が、この地(大高坂山)に城を構え、大高坂山城と称した。
延元3年(1338年):後醍醐天皇の第7子・満良親王を迎える。
興国2年(1341年):松王丸は北朝方の細川禅定、佐伯経定と戦い落城。廃城となる。
安土桃山時代
長宗我部元親が、豊臣秀吉より土佐国一国を安堵され、秀吉に従軍して九州遠征の後、天正15年(1587年)にこの地に築城した。
天正19年(1591年):元親は、僅か3年で水はけの悪い大高坂山城を捨てて、桂浜に近い浦戸に浦戸城を築いた。