高登渉
■毎日更新無料動画!
■未公開流出画像満載

[Wikipedia|▼Menu]
本来の表記は「登渉」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

登 渉(たかのぼり わたる、1908年明治41年5月7日 - 1962年昭和37年1月19日)は、長野県下伊那郡喬木村出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は関脇。本名は吉川渉(よしかわ わたる)。身長185cm、体重113kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ
目次

1 来歴

2 主な成績

3 改名歴

4 年寄変遷

5 関連項目

//


来歴

1926年大正15年)に飯田城下で行われた自転車の大会に出場したが、途中で運悪くペダルが折れてしまった。しかしそこで諦めず壊れた自転車を担いで残りを走って優勝し、これが評判となり砂親方(元大関朝潮)に勧誘され、高砂部屋に入門して1927年昭和2年)1月場所で初土俵。

1931年昭和6年)1月場所で新十両、5月場所で新入幕。1932年昭和7年1月6日春秋園事件が発生すると、前頭4枚目から格上げされて新小結。この場所は負け越したが平幕に下がった5月場所から成績が上昇し、1933年昭和8年)1月場所新関脇で7勝4敗、5月場所には横綱玉錦と優勝を争い9勝2敗、大関目前まで進んだ。しかし1934年昭和9年)1月場所を目前に控えながら胃潰瘍にかかり無念の休場、その後右膝を壊し大関の夢は断たれてしまった。

6尺を越す当時としては大型で長野出身であることから、「信州雷電」(為右エ門)の再来といわれた。1939年昭和14年)5月場所を最後に引退、年寄大山を襲名し分家独立、大関・松登を育てた。相撲解説で人気があり、独特の声色で「飴玉を転がすような」とたとえられた。1961年4月に東駒形に新部屋を建てて引越したが、翌1962年1月場所中に同部屋で心臓麻痺で倒れ、急逝した。


主な成績

幕内在位:20場所(うち関脇4場所、小結4場所)

幕内通算成績:106勝94敗28休 勝率.530


改名歴

高登 渉(たかのぼり わたる)1927年1月場所-1936年1月場所

高登 弘光(- ひろみつ)1935年5月場所-1937年5月場所

高登 猛(- たけし)1938年1月場所-1938年5月場所

高登 啓親(- ひろちか)1939年1月場所-1939年5月場所


年寄変遷

大山 渉(おおやま わたる)1939年5月-1962年1月


関連項目

大相撲力士一覧

関脇一覧
カテゴリ: 長野県出身の大相撲力士 | 1908年生 | 1962年没 | 長野県出身の人物

更新日時:2008年6月2日(月)15:40
取得日時:2008/09/22 12:41


■毎日更新無料動画!
■未公開流出画像満載

[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[この項目を更新]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:5827 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki