高橋尚成
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高橋 尚成
読売ジャイアンツ No.21

投球する高橋 尚成(2007年)
基本情報
国籍 日本
出身地東京都墨田区
生年月日1975年4月2日(33歳)
身長
体重177cm
77kg
選手情報
投球・打席左投左打
守備位置投手
プロ入り1999年 ドラフト1位(逆指名)
初出場2000年4月6日
経歴


修徳高等学校

駒澤大学

東芝

読売ジャイアンツ(2000 - )

■Template  ■ウィキプロジェクト 野球選手

高橋 尚成(たかはし ひさのり、1975年4月2日 - )は東京都墨田区出身のプロ野球選手読売ジャイアンツ所属の投手
目次

1 経歴

2 プレースタイル

3 エピソード

4 年度別投手成績

5 タイトル・表彰・記録

6 個人記録

7 背番号

8 脚注

9 関連項目

10 外部リンク

//


経歴

1993年、修徳高校3年時に夏の甲子園でベスト8進出。駒澤大学では東都大学リーグで通算60試合に登板し17勝11敗、防御率2.58、239奪三振。東芝に進んでからは、1999年第70回都市対抗野球大会で優勝を飾り、優秀投手に選ばれる活躍をする。同年のドラフト会議で1位指名(逆指名)を受けて巨人に入団。


2000年、4月6日の中日戦で堀内恒夫以来の初先発・初勝利を挙げるなど活躍し、新人王こそ首位打者を獲得した金城龍彦に譲ったものの最終的に9勝6敗、防御率3.18の好成績をあげる。同年の日本シリーズでは第5戦福岡ドームに登板し、史上10人目、巨人所属投手としては5人目の初登板初完封を記録するなど活躍し優秀選手賞を受賞した。


2001年も9勝、さらに2002年には初の10勝を挙げて巨人の先発投手陣の一角として地位を築いていったが、2003年から2004年は怪我もあって思うように投げることができず、2005年もローテーションこそ守るものの不安定な投球が多く、2年連続で10敗を喫するなど敗戦数が先行する結果に終わる。この3年間は17勝26敗で防御率5.00と、首脳陣やファンの期待を裏切ることになった。


2006年は内角攻めのスタイルを取り入れ、オープン戦から快投が続き期待されたが、開幕早々4月5日のヤクルト戦において、ベンチに飛んできた青木宣親のファウルボールが顔面を直撃、右ほおの骨折で長期離脱の憂き目に遭う。それでも復帰後はストッパーに回って15セーブを挙げ、健在をアピールした。しかし高橋の抑えは本来のストッパー豊田清が離脱していたことによる緊急措置であり、オフの交渉では清武英利球団代表に2007年の先発復帰を直訴している[1]


2007年には先発に復帰、4月には月間5勝を挙げ、球団の左投手としては1979年5月の新浦壽夫以来、28年ぶりの快挙を成し遂げた。入団8年目にして監督推薦によりオールスターゲーム初出場を勝ち取り、フルキャストスタジアム宮城での第2戦に先発、山崎武司 にホームランを打たれ2イニングで2失点を喫したものの、阿部慎之助の3ランなどのセ・リーグの打線の奮起に助けられて勝利投手となっている。シーズンでは自己最多となる14勝を挙げ、リーグ優勝に大きく貢献。シーズン終盤8月2日から9月15日まで1ヶ月以上白星が無いという状況になり一時的にグライシンガーに防御率を抜かれたが、最後は2連勝で初の個人タイトルとなる最優秀防御率も獲得した。2007年のベースボールTVのインタビューの中で、「目標は、いつかは完全試合を達成する事。また工藤公康桑田真澄らベテランが去り、内海哲也金刃憲人や復活を遂げた木佐貫洋など、若手台頭の中でジャイアンツ投手陣の(上原と共に)最年長投手となり、G投手陣のリーダーになる」という宣言をした。


2008年は初の開幕投手に指名され東京ヤクルトスワローズ戦に登板したが、雨足が強く不運な安打もあったことから4回5失点と奮わず、チームも2対6で大敗した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki