馬鹿(ばか)とは日本語で相手をからかったり侮蔑(その立場を低く見なす事で、相手の感情を損なう・人格の否定)するため、極めて広く使われる卑語・俗語である。漢字では莫迦、馬稼、破家等と表記するが、馬鹿を含めいずれも借字である。平仮名や片仮名でばか・バカと表記する場合もある。また、ネット上では「ヴァカ」などと表記されることもある。
目次
1 分析
1.1 他の語と組み合わされる場合
1.2 肯定的に扱われる場合
1.3 馬鹿のもつ意味合いと使用される状況の例
2 歴史
3 語源
4 方言と分布状況
5 実在する動物:馬鹿(ばろく)
6 妖怪:馬鹿(むましか)
7 「バカ」という言葉の流行と相次ぐ「バカ論」の出版
7.1 それ以外の馬鹿に関する作品
8 脚注
9 関連項目
//
この語はあまりにも普遍的に用いられる事が多い事から、使う人・使われる相手(または対象)・使われる場により意味が変動する様子が見られる。一般的に関東では軽い揶揄(または「からかい」)程度で使われることが多いが、関西では本当に罵り倒すときに使用される地域性の違いも見られる。相手の出身によって受け取られ方も大きく違う事も注意を要する(下記方言と分布状況参照)。
比較的多く見られるニュアンスでは「知識が足りない」や「思慮が足りない」、更には「理解の度合いが足りない(ステレオタイプを乱用している)」という意味合いで用いられる。ただ、基本的に当人の理解しようとする意思や努力が不足しているとする傾向が強く、類語である阿呆(あほう:理解したり思考する能力が不足している)との違いも見られ、先に挙げた関西と関東の「罵り程度の強弱」は、阿呆と馬鹿で逆転している傾向も見られる。意味自体に地域性は無いが、関東では阿呆というと、かなり強い軽蔑の意味を持つことが多い。
その一方で、罵る意味が欠落する場合も多い。典型的な例としては、親しい間柄や恋人の間でかわされる会話が挙げられる。この場合の意味にはののしる意味はない。「親しさ」の表現や「恥じらい」、または「本気で愛している」を表現する上での符丁のように、様々な局面で用いられる。いずれにせよ長所も短所も併せて好き合っている間柄でないと同語はあまり使用されず、非常に親密な状態を示すバロメータと言えよう。
他方では、何かに熱中している人を指し・または自称で「馬鹿」とする場合がある。これは熱中する余り、他への配慮が等閑(なおざり)になっている様子を指している。例えば漫画を原作とする映画シリーズでは「釣りバカ日誌」が邦画の中でも好調な興行成績を挙げているが、同映画に登場するのは「釣りのためなら仕事を放り出すサラリーマン」と、「歳を取って釣りに出会い、その面白さについ没頭してしまう経営者」のユーモラスな友情である。この場合の「バカ」は主に自称であるが、時に一種の尊称として扱われる場合もある。もっと昔からいわれてきた「大馬鹿」に似た表現で、ごく最近の若者言葉では、あまりにも踏み外した者を「超馬鹿」「激馬鹿」など馬鹿の前に修飾する事で踏み外し度合いを強調することもある。
しかし同語は極めて感情的な言葉であるため、その用法は公的な場では制限される事が多い。例えば会社の会議席上で、上司に向かって同語を言ったりすると、自分の会社人生に致命的なダメージを与えうる言葉となる。子供同士の他愛も無い喧嘩で、お互いに顔を真っ赤にしてバカだなんだと罵り合う・掴み合って叩き合う様はしばしば見られる現象であるが、これは傍目に双方が馬鹿に見える一つのケースでもある。少なくとも馬鹿と口にする当人が客観的に馬鹿に見えることも多いので、注意が必要だろう。文字通り「馬鹿という奴が馬鹿」である。など。さらにこの馬鹿と言う言葉を繰り返して言ったり、真面目にやっているのに馬鹿という発言をしたら、相手を気分悪くさせたり人を見下している言い方と同じなので嫌われる原因にもなっている。
一般的に、思慮の前に行為が先走る、行為と目的とが一致していないことに気づいていない状態などを指すものと思われる。
先述のように馬鹿を強調する場合には前に「大」を付ける「大馬鹿(おおばか)」が一つの定型である。もう一つの定型としては後ろに野郎がつく「馬鹿野郎」がもう一つの定型である。「馬鹿者(ばかもの)」も使われる。
それに、強調でなく、個人を特定する表現で「馬鹿者」がある。これを強調する場合には「大馬鹿者(おおばかもの)」が使われる。
罵倒語同士の組み合わせとしては「馬鹿たれ」がある。
逆に皮肉な表現としては「小馬鹿(こばか)」がある。
たとえば『空手バカ一代』のように、不器用ながらも一つの道を曲げずに歩き続けることで何らかのものを大成する、そのような姿をバカという例もある。「愚直の一念」といった表現もある。また、素直ではあるが気が利かないために役に立たない者は、しかしその真っ直ぐさのために何らかの感動を与える場合もある。「あんたバカ?」などはそれに対して投げかけられた言葉とも取れる。
ややこしい考えやたくらみを練らなければ、生きてゆく上では失敗や損もあるだろう。特にだまされることはあるに違いない。しかし、だますのは罪だがだまされるのは罪ではない(場合が多い)。このような馬鹿は、少なくとも正直者ではいられる。『イワンの馬鹿』や『雨ニモマケズ』はこの方向かと思われる。
やや似ているが、様々な状況を配慮し、それにそう形で物事を解決するような大人の判断に対して、それでは正義が真っ直ぐに貫けない場合がある。若者がそういった状況に耐えられずに真っ直ぐに進む様を「馬鹿」という例もある。馬鹿正直などは場合によってはこれを意味する。あるいは若者の暴発しがちなエネルギーをさして馬鹿という例もある。たとえば年を感じて「もう馬鹿はできないなあ」というのが逆説的であるがそれを示している。
他方、物事を考える力が弱く、うまく物事を進められない場合、様々な失敗をすることになるが、その姿は、むしろ色々なことに気を遣い、先を読んで動かざるを得ない社会においては、一服の清涼剤ともなるであろう。