香港日本人学校
香港日本人學校(繁体字)
Hong Kong Japanese School(英語)
設置者HONG KONG JAPANESE SCHOOL LIMITED
課程小学部(香港校、大埔校)
中学部
創立1966年(昭和41年)5月10日(小学部)
1997年(平成9年)4月(小学部大埔校)
1966年(昭和42年)4月(中学部)
所在地・連絡先
学校
所在地小学部香港校:香港藍塘道157號
No. 157 Blue Pool Road, Hong Kong
小学部大埔校:香港新界大埔大埔道4663號
No. 4663 Tai Po Road, Tai Po, New Territories, Hong Kong
中学部:香港北角校園徑9號
No. 9 Hau Yuen Path, North Point, Hong Kong
電話番号+852-2834-7375(小学部香港港)
+852-2652-2303(小学部大埔校)
+852-2566-5311(中学部)
外部リンク ⇒公式サイト
香港日本人学校(ほんこんにほんじんがっこう、香港日本人學校(中国語繁体字表記)、Hong Kong Japanese School(英語表記))は、中華人民共和国香港特別行政区にある日本人学校。
HONG KONG JAPANESE SCHOOL LIMITEDにより、日本国政府の海外子女教育施策に基づき、香港に在住する日本人の総意によって設置された教育施設であると同時に、香港の法令に基づいて認可された私立学校であり、下記の3つの校舎から成る。
香港日本人学校小学部香港校(-しょうがくぶほんこんこう、香港日本人學校小學部香港校、Hong Kong Japanese School Primary Section)
香港日本人学校小学部大埔校(-しょうがくぶたいぽこう、香港日本人學校小學部大埔校、Japanese International School)
香港日本人学校中学部(-ちゅうがくぶ、香港日本人學校中學部、Hong Kong Japanese School Junior Secondary Section)
目次
1 概要
2 沿革
2.1 歴史
2.2 歴代校長
3 著名な出身者・関係者
4 関連項目
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概要中学部校舎。写真は5?8階。山の中腹に立地しており、正面玄関が5階にあるという変則的な構造になっている。小学部香港校校舎
3校舎合わせて1,556人(2006年5月1日現在。公式サイトによる。)の生徒・児童を擁し、世界の日本人学校の中でも有数の規模である。1990年代には、3校舎合わせて最大で約2100人の生徒・児童数を擁していた。生徒・児童のほとんどが保護者の海外転勤に伴って入学・転入してくるという事情のため、社会や経済状況の動向が生徒・児童数の増減に大きな影響を与えることがある。例えば、1970年代頃から盛んに行われた日本企業のアジア進出による生徒・児童数の急増や、SARSの影響により日本企業が現地駐在員を引き揚げるなどしたために一時的に減少したことなどがその一例である。
小学部が香港校と大埔校の2校舎に分かれており、原則として香港校には香港島在住の児童が、大埔校には九龍・新界在住の児童が、それぞれ通学することになっている。
大埔校の国際学級以外では、他の日本人学校と同様に日本の文部科学省が定める学習指導要領に則ったカリキュラムで授業が行われており、これに加えて週あたり数時限、英語を母語とする講師による英会話の授業が行われている。教員は、学校長以下原則として日本の文部科学省から海外日本人学校への派遣教員として研修を受けた者が(長期研修の形で)3年の任期で派遣される。これ以外に、英会話の教員として英語を母語とする者が、また派遣教員の不足分が、それぞれ現地採用の教員として採用される場合がある。
いずれの校舎も公共交通機関の便が乏しい場所にあり、生徒・児童の通学範囲が広いため、生徒・児童のうち学校の近所に住んでいる者以外の多くはスクールバスを利用して通学している。それぞれの校舎発着で複数台のバスをチャーターし(一部は校有バス)、日本人が多く在住する地域にバスストップを設けそれらを巡回するルートを定めて運行している。防犯上の問題や日本の慣習との違いから、小さな子供だけで公共交通機関を利用することは香港では一般的ではなく、小中学校がスクールバスを運行していること自体は珍しいことではない。
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現在の香港日本人学校は1966年設立だが、これ以前にも香港在住の日本人子女向けの教育施設は存在した。その歴史は1907年(明治40年)設立の香港本願寺小学校まで遡ることができ、第二次世界大戦中の日本軍による香港占領を挟み1945年(昭和20年)9月13日の総督部立香港国民学校の廃校(授業は翌年1月まで継続)に至るまでの間、改称、改組、移転、一時的な閉廃校等があったものの存在し続けた。だが、これらの教育施設と現在の日本人学校の間には直接的な関連はない。
1961年(昭和37年)頃 - 香港日本人倶楽部で補習教育が始まる。
1965年(昭和40年)11月2日 - 香港日本人学校設立準備委員会発足。
1966年(昭和41年)5月1日 - 香港島銅鑼湾(Causeway Bay)の望慎道(Hysan Avenue)に開校。当初は小学部のみでの開校で、児童総数70人・教職員10人。校舎は雑居ビルの2フロアを借り切ったものだが、これは当時の香港にあっては特殊な形態ではなく、現地人向けの学校でもこのような形態は(現在でも)存在する。
同年10月14日 - 開校式を挙行。
1967年(昭和42年)2月22日から24日 - 文化大革命の影響による暴動(香港騒動)の発生に伴い臨時休校。