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養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )は、解剖学者。東京大学名誉教授。実母は小児科医。
目次
1 略歴
2 研究
3 執筆活動
4 人物
5 著作
6 脚注
7 関連項目
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1937年、神奈川県鎌倉市に生まれる。ハリス記念鎌倉幼稚園、鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校、東京大学医学部を経て、1967年に同大学院基礎医学博士課程を修了、医学博士号を取得する。
東京大学助手・助教授を経て、1981年解剖学第二講座教授となる。この間、1971年から1972年にかけてメルボルン大学留学。1989年から1993年は東京大学総合研究史料館館長、1991年から1995年は東京大学出版会理事長を歴任した。
1995年、東京大学を定年前に退官。以後は北里大学教授、大正大学客員教授を歴任し、現在は代々木ゼミナール顧問・日本ニュース時事能力検定協会名誉会長、財団法人ソニー教育財団理事を務めている。
文化や伝統、社会制度はもちろん、言語、意識、心など人のあらゆる営みは脳という器官の構造に対応しているという唯脳論を提唱した。この論は、『現代思想』(青土社)の連載をもとに出版された『唯脳論』にまとめられている。
一般的な心の問題や社会現象を脳科学、解剖学をはじめとした医学・生物学領域の雑多な知識を交えながら一種知的な語り口で解説することによって多くの読者を得ている。
2003年に出版した『バカの壁』は同年、ベストセラー第1位になり、毎日出版文化賞特別賞を受賞、さらに題名の「バカの壁」は新語・流行語大賞を受賞した。その後も同種の一般向け著書を数多く執筆している。
また、テレビ出演や講演会などを積極的にこなしている。
人物
4歳の時に父親を結核で亡くし、その後は小児科医「大塚医院」を営む母静江の腕ひとつで育てられる。父が亡くなる場に立ち会った際、周囲の大人たちに促された「さよなら」の一言を言えなかった経験が、中学生・高校生時代に「人とあいさつするのが苦手」な性格に影響している、と自己分析している。ちなみにその因果関係に気づいたのは40歳を過ぎてからの通勤途中の地下鉄のホーム上であり、その後地下鉄の中で涙しながら「そのとき初めて自分の中で父が死んだ」、と自著で告白している。
小学2年生の時に終戦を経験し、「一億玉砕」「八紘一宇」「天皇万歳」の当時の常識が一夜にしてひっくりかえったことが彼の世間の常識に対する懐疑的な態度に影響している。
卒業後、東京大学医学部附属病院でのインターンにて医療事故に3回遭遇した経験から精神科医を目指そうとしたが抽選にはずれ、結果的に解剖学の研究の道を志す(もちろん、解剖学の道に進んだ積極的な理由も持っているようである)。
研究室の助手をしていた頃、当時盛んだった全共闘運動の被害を受けた。研究室がゲバ棒を持ち覆面を被った学生達に押し入られ、「こんな一大事に研究なんかしている場合か」と非難されながら研究室を追い出された経験をして以来、「学問とは何か」「研究とは何か」「大学とは何か」といった問いに対して考え続けており、本人曰く「私のなかで紛争は終わってない」。山本義隆『重力と磁力の発見』が大佛次郎賞を受賞した際には、同賞の選考委員でありながら、著作への授賞に異存はないとしつつも、自らが全共闘運動から受けた影響などを理由に「選評を拒否する」という強い調子の文章を発表して話題となった。