順天市
位置
各種表記
ハングル:???
韓国における漢字:順天市
片仮名転写:スンチョン=シ
ローマ字転写:Suncheon-si
情報
国: 大韓民国
面積:907.21km2
総人口:271,636人(2002年)
上位自治体:全羅南道
下位行政区画:1邑10面12洞
行政区域分類コード:36030
順天市の木:カキノキ
順天市の花:クロフネツツジ
順天市の鳥:ハト
自治体公式サイト: ⇒順天市
順天市(スンチョンし)は大韓民国全羅南道東南部の市。16世紀末に日本軍が築いた順天倭城が残る。
目次
1 地理
2 歴史
3 史跡・名所
3.1 順天倭城
3.2 楽安邑城
3.3 名刹
4 交通
5 姉妹都市
6 外部リンク
//
朝鮮半島南海岸地帯に位置し、東は全羅南道光陽市・求礼郡、西は和順郡・宝城郡、北は谷城郡、南は麗水市と接する。南は一部、順天湾及び光陽湾に面する。順天湾は干潟が広がりナベヅル等の飛来地になっており、ラムサール条約にも加盟している。
歴史
757年 昇平(スンピョン)郡設置
940年 昇州(スンジュ)に改称
1309年 昇州牧(地方長官所在地)に昇格
1310年 順天に改称し、府に降格
1413年 都護府となる
1597年 順天倭城築城
1895年 順天郡に改名
1908年 楽安郡の一部を編入
1931年 順天面(村)が邑(町)に昇格
1948年 麗水・順天事件
1949年 順天邑が順天市に昇格(残りの地域は昇州郡に改称、1985年に双岩(サンアム)面を昇州邑に改称、昇格)
1995年 昇州郡と合併
慶長の役で小西行長が1597年に築いた日本式の城。順天市東南部の光陽湾に面した小山に今も当時の石垣や空堀が残る。1598年10月小西行長らが順天倭城で明・朝鮮軍による攻撃を受けたが撃退した(順天倭城の戦い)。
順天倭城の戦いの後、朝鮮に派遣されていた日本軍は豊臣秀吉の死により撤退が決定し、順天倭城に駐屯する小西行長らも撤退する手筈だったが、明・朝鮮の水軍の海上封鎖により阻まれた。これを知り救援に来た島津義弘の水軍が明・朝鮮連合水軍に襲われ、戦役最後の大激戦となった。露梁(光陽市域)海戦である。この戦いで李舜臣が戦死した。小西軍はこの隙に順天を脱出した。
順天市街地から西に約22km離れた、楽安面東内里・西内里・南内里地域に所在する。李氏朝鮮時代、倭寇の襲撃に備えて築造されたとされる土城を元に、17世紀前半に作られた約1・4kmの石積みの城郭や、城郭の内外の住居等で構成される。1983年に史跡地に指定された後、一部の補修・復元や整備を経て現在に至る。この地方の伝統的な民家が今も残るだけでなく、テーマパーク的な他の民俗村とは異なり実際に200名以上の住民の生活が営まれている。
名刹
松広寺(松広面)
韓国仏教の最大宗派である曹渓宗に属する寺。海印寺、通度寺と共に韓国内で三宝寺刹と呼ばれ、韓国仏教界を代表する僧侶の修行・育成の寺として知られる。
仙巌寺(昇州邑)
交通
韓国鉄道公社・順天駅(全羅線・慶全線)
湖南高速道路
西順天インターチェンジ - 順天サービスエリア(順天方向のみ)- 昇州インターチェンジ - 住岩インターチェンジ - 住岩サービスエリア
南海高速道路
西順天インターチェンジ - 順天インターチェンジ
外部リンク
⇒順天市公式サイト(韓国語)
⇒順天市公式サイト(日本語)
⇒順天倭城の写真
表・話・編・歴全羅南道の行政区画
市木浦市 | 麗水市 | 順天市 | 羅州市 | 光陽市
郡潭陽郡 | 谷城郡 | 求礼郡 | 高興郡 | 宝城郡 | 和順郡 | 長興郡 | 康津郡 | 海南郡 | 霊岩郡 | 務安郡 | 咸平郡 | 霊光郡 | 長城郡 | 莞島郡 | 珍島郡 | 新安郡