青島(チンタオ、Qingdao)は中国山東省の副省級市(省に準じるクラスの市)。山東半島南部に位置する産業都市であり、軍港である。面積19,654平方キロ(うち市区面積1,102平方キロ)、人口710万人(うち市区人口237.5万人)。
目次
1 地理
2 歴史
3 経済
4 行政区域
5 観光
6 軍事
7 スポーツ
8 教育
9 交通
9.1 市内交通
10 友好都市
11 外部リンク
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青島は山東半島の南海岸に小さく突き出た半島の先端に位置する。北東は煙台と、西は?坊と、南西は日照の各市とそれぞれ接する。市街は比較的平坦で、すぐそばに丘が並んでいる。市域内の最高点は1,133mになる。海岸線の長さは730.64kmに及び、長さ50km以上の目立った川は5つある。
青島は海に面しているため夏は涼しく、冬も穏やかである。夏の平均気温は23.8度(7月)で、冬の平均気温は-0.7度(1月)となる。6月と7月は梅雨で雨が多い。
歴史的に山東半島の港は半島北部に集中し、青島は膠州(現・膠州市)が管轄する膠澳と呼ばれる辺鄙な漁村に過ぎなかった。明代には倭寇対策の城砦が建設され駐留する軍目当ての商人が集まったこともあった。清朝になると現在の大学路付近に青島村という寒村があり、清末期には青島口という小さな港町を形成するに至った。1859年には青島口に税関分局が設けられ、1865年には煙台の東海関の分関が置かれた。1891年に国防上の観点からこの地に海軍の桟橋など軍事施設が建設され、翌年に登州の兵力が膠澳に駐留し、総兵衙門が青島村に置かれ、町の発展が始まった。
日清戦争後、三国干渉で中国に恩を売ったドイツは1897年膠州湾一帯に目をつけ、宣教師が山東で殺された事件を口実に上陸し翌1898年には膠州湾を99年間の租借地とした。膠澳にはドイツ東洋艦隊の母港となる軍港が建設された。ドイツはこの地を極東における本拠地とし、鉄道敷設権と鉱山採掘権などを通じ山東半島一帯を勢力下に置いた。青島はドイツのモデル植民地として街並みや街路樹、上下水道などが整えられ、今なお残る西洋風の町並みや青島ビールなどドイツがこの町に与えた影響は大きい。(→ 膠州湾租借地)
第一次世界大戦でドイツに宣戦布告した日本は1914年膠州湾のドイツ要塞を陥落させて占領下に置き(青島攻略戦)、1922年に中国に返還した。北洋政府はここを中央政府直轄の特別行政区である膠澳商埠とし、国民党政府は1929年青島特別市を成立させ、1930年青島市と改称している。1938年日中戦争が始まると、青島は再び日本軍の占領下に置かれた。第二次世界大戦後には青島は米国西太平洋艦隊の司令部所在地となったこともある。しかし1949年6月2日中国人民解放軍が青島に入城し、中国共産党政権の支配下に置かれた。1984年の?小平時代に対外開放され、近代的な港湾都市として発展している。
2008年北京オリンピックのヨット競技が青島で開催される予定となっている。
経済青島ビール博物館の前に置かれたディオニュソスの像
青島で最も有名なのは1903年にドイツ人が開業した青島ビール製造所だろう。中国は2004年時点で世界のビール生産の18.7%を占める世界最大のビール生産国である。青島ビールは中国で最も有名なビールであり、世界的に知られている。1984年に青島が特別経済技術開発区に指定されて以来、外国からの投資が集中し、近代建設が急ピッチで進展した。
とくに中韓国交樹立以来、一衣帯水の韓国からの投資はめざましく、青島に対する韓国の投資は2001年592億米ドル、2002年971億米ドル、2003年1433億米ドルと急増を続ける。(同時期の日本からの投資はそれぞれ、163億米ドル、218億米ドル、257億米ドルであった。)韓国仁川とはフェリーで結ばれ 青島在留韓国人は7万人に達する。
また近年中国最大の家電メーカーとなったハイアール(海爾集団)も青島を本拠とする。
行政区域
7区と5県級市から構成される。
区
市南区、市北区、四方区、李滄区、労山区、城陽区、黄島区
市
膠州市、即墨市、平度市、膠南市、莱西市
海沿いの美しい景色と、オレンジ色の瓦屋根で統一された建物などの景観で、近年、観光都市としての側面も知られてきている。ドイツ風の町並みが残る旧市街など、異国情緒も漂う、国家歴史文化名城に指定された都市である。