ニュートリノ (Neutrino) は、素粒子のうちの中性レプトンの名称。中性微子とも書く。電子ニュートリノ・ミューニュートリノ・タウニュートリノの3種類もしくはそれぞれの反粒子をあわせた6種類あると考えられている。 ヴォルフガング・パウリが中性子のβ崩壊でエネルギー保存則が成り立つようにその存在仮説を提唱した。「ニュートリノ」の名はβ崩壊の研究を進めたエンリコ・フェルミが名づけた。フレデリック・ライネスらの実験によりその存在が証明された。
目次
1 性質
1.1 相互作用
1.2 反粒子
2 仮説と検証
2.1 質量
3 関連項目
4 注釈
5 外部リンク
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標準モデルにおける
ニュートリノの分類フェルミオン記号質量**
第一世代
電子ニュートリノνe< 2.5 eV
反電子ニュートリノνe< 2.5 eV
第二世代
ミューニュートリノνμ< 170 keV
反ミューニュートリノνμ< 170 keV
第三世代
タウニュートリノντ< 18 MeV
反タウニュートリノντ< 18 MeV
ニュートリノは電荷を持たず、のスピンを持つ。 また質量は非常に小さいが存在することが確認された。
ニュートリノには電子ニュートリノ (νe)、ミューニュートリノ (νμ)、タウニュートリノ (ντ) の3世代とそれぞれの反粒子が存在する。 これらは電子、ミュー粒子、タウ粒子と対をなしている [1] 。
ニュートリノは強い相互作用と電磁相互作用がなく、弱い相互作用と重力相互作用でしか反応しない。 ただ、質量が非常に小さいため、重力相互作用もほとんど反応せず、このため他の素粒子との反応がわずかで、透過性が非常に高い。
そのため、原子核や電子との衝突を利用した観測が難しく、ごく稀にしかない反応を捉えるために高感度のセンサや大質量の反応材料を用意する必要があり、他の粒子に比べ研究の進みは遅かった。最初の写真 米国アルゴンヌ国立研究所に設置されたZero Gradient Synchrotronの水素泡箱で観測された史上初のニュートリノ(1970年11月13日)。ニュートリノは電荷を持たず泡箱に軌跡を残さない。写真右手中央の黒い影の右側で三つの軌跡が突然始っている。この位置でニュートリノが陽子に衝突した。同時に生成したミュー粒子は非常に見分けにくいがほぼ直線状に軌跡を残している。短い軌跡は陽子。
電荷を持たない粒子であるため、中性のパイ中間子のようにそれ自身が反粒子である可能性がある。ニュートリノの反粒子がニュートリノ自身と異なる粒子であるか否かは現在でも未解決の問題である。
アルファ崩壊の場合、アルファ粒子(アルファ線)と新しく出来た原子核の質量との合計は、崩壊前の原子核の質量よりも小さくなる。これは、放出されたアルファ粒子の運動エネルギーが、崩壊前の原子核の質量から得られているためである。
ベータ崩壊の場合は、運動エネルギーの増加が質量の減少より小さかったため、研究者の間で混乱が生じた。 ニールス・ボーアは放射性崩壊現象ではエネルギー保存の法則が破れると主張した。
一方、ヴォルフガング・パウリは、エネルギー保存の法則が成り立つようにと、ベータ崩壊では中性の粒子がエネルギーを持ち去っているという仮説を1930年末に公表した。 また、1932年に中性子が発見されたのをきっかけに、エンリコ・フェルミはベータ崩壊のプロセスを「ベータ崩壊は原子核内の中性子が陽子と電子を放出しさらに中性の粒子も放出する」との仮説を発表した。また、質量は非常に小さいか、もしくはゼロと考えられた。そのため、他の物質と作用することがほとんどなく検出には困難を極めた。
1953年から1959年にかけて行われた フレデリック・ライネスとクライド・カワンの実験により初めてニュートリノが観測された。この実験では、原子炉から生じたニュートリノビームを水にあて、水分子中の原子核とニュートリノが反応することにより生じる中性子と陽電子を観測することで、ニュートリノの存在を証明した。
1962年、レオン・レーダーマン、メルヴィン・シュワーツ、ジャック・シュタインバーガーらによって νe と νμ が違う粒子であることが実験で確認された。これは、15 GeV の高エネルギー陽子ビームを使ってパイ中間子(π)をつくり、ミュー粒子 (μ) とミューニュートリノ (νμ) に崩壊してできたミューニュートリノを標的にあてた。この結果、標的で弱い相互作用によってミュー粒子は生じたが、電子は生成されなかった。