雉子牟田明子

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雉子牟田明子
基本情報
ラテン文字名Akiko Kijimuta
国籍 日本
出身地同・神奈川県海老名市
生年月日1968年5月1日(40歳)
身長162cm
体重54kg
利き手右
バックハンド
ツアー経歴
デビュー年1983年
引退年1994年
ツアー通算0勝
シングルス0勝
ダブルス0勝
生涯通算成績159勝211敗
シングルス126勝148敗
ダブルス33勝63敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪3回戦(1987・88)
全仏4回戦(1992)
全英3回戦(1988)
全米3回戦(1987)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪2回戦(1998・94)
全仏1回戦(1991・94)
全英2回戦(1992)
全米1回戦(1991・92)
キャリア自己最高ランキング
シングルス49位
ダブルス93位
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雉子牟田 明子(きじむた あきこ, 1968年5月1日 - )は、神奈川県海老名市出身の元女子プロテニス選手。桜美林大学卒業。妹の雉子牟田直子もプロテニス選手である。シングルス自己最高ランキングは49位。旭硝子に所属した。

日本では比較的珍しい早熟選手で、中学3年生(15歳)だった1983年全日本テニス選手権の女子シングルスで「15歳4ヶ月」の史上最年少優勝記録を樹立した。翌1984年にプロ入りし、当時の日本女子テニスの先駆者であった井上悦子の後を追いながら世界挑戦を始める。1984年ロサンゼルス五輪の「公開競技」にも16歳で出場した。これはテニスがオリンピック種目として正式に復活する前、「21歳以下」の選手を対象に行われた試合だったが、この時の女子シングルス優勝者は当時15歳のシュテフィ・グラフ(旧西ドイツ)であった。

1984年から1992年まで、女子国別対抗戦・フェドカップ(当時の名称は「フェデレーション・カップ」)の日本代表として活躍する。とりわけ1989年のフェデレーション・カップは東京有明コロシアムが会場であったが、そこで雉子牟田は1回戦のスウェーデン戦で当年度のウィンブルドンベスト4、カタリナ・リンドクイストを破った。2回戦の西ドイツ戦で、当時の世界ランキング1位であったシュテフィ・グラフに挑戦し、世界66位の挑戦者として大健闘を見せた。1990年の「北京アジア大会」で個人シングルス優勝・団体優勝の2冠を獲得している。

1992年全仏オープン女子シングルスで、雉子牟田明子は4回戦で第1シードのモニカ・セレシュに食らいついたが、1-6, 6-3, 4-6 で惜敗した。この時は伊達公子グランドスラム大会で初めてシード選手に選ばれ(第14シード)、彼女もアランチャ・サンチェスとの4回戦まで進出したため、日本人女子選手が2人ベスト16入りする、大きな前進の大会だった。雉子牟田本人にとっては、これが国際舞台での最後の活躍になった。1994年に現役を引退し、現在はジュニア選手の指導に携わっている。


関連項目

雉子牟田直子


外部リンク

雉子牟田明子 - WTAツアーのプロフィール(英語)

フェデレーションカップ成績表

日本テニス協会 (生年に「1965年」の誤記がある)
カテゴリ: 日本のテニス選手 | 神奈川県出身の人物 | 1968年生

更新日時:2008年9月26日(金)19:59
取得日時:2008/11/15 22:16


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki