陵墓
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陵・御陵・みささぎはこの項目へ転送されています。その他の「陵」・「御陵」・「みささぎ」については陵 (曖昧さ回避)をご覧ください。檜隈大内陵(天武・持統天皇陵)大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)北白川陵(後二條天皇陵)

天皇陵(てんのうりょう)とは、天皇のこと。
目次

1 概要

2 変遷

3 管理

4 山陵探索・治定・修陵

4.1 文久の修陵


5 宮内庁管理の天皇陵一覧

6 脚注

7 外部リンク

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概要

現在の宮内庁による区分では、天皇・皇族の墓のうち、天皇・皇后太皇太后皇太后のものを陵(みささぎ・りょう)、それ以外の皇太子や親王などの皇族のものを墓(はか・ぼ)と呼ぶ。

なお、実際には天皇・皇后・太皇太后・皇太后の墓の他にも、「追尊天皇」・「尊称天皇」の墓所や、いわゆる「神代三代」(日向三代とも、瓊々杵尊彦火火出見尊彦波瀲武??草葺不合尊)の墓所、日本武尊の墓所の一部および飯豊青皇女(飯豊天皇とも)の墓所は「陵」を名乗っている。

これらのほか、宮内庁が現在管理しているものには、分骨所・火葬塚・灰塚など陵に準じるもの、髪・歯・爪などを納めた髪歯爪塔などの一種の供養塔、被葬者を確定できないものの皇族の墓所の可能性が考えられる陵墓参考地、などがあり、一般にはこれらを総称して陵墓(りょうぼ)という。

陵墓に指定されている古墳のうち、天皇陵は41基、皇后陵は11基、皇太子などの墓は34基であり、天皇、皇后、皇子名を合葬したものを差し引くと合計85基ある。

宮内庁管理の陵墓は、北は山形県から南は鹿児島県まで1都2府30県にわたって所在しており、歴代天皇陵が112、皇后陵など76で計188。皇族等の墓が552。準陵が42、髪歯爪塔などが68、伝承などから陵墓の可能性がある陵墓参考地が46あり、総数は896である。同じ場所に所在するものもあるので、箇所数は458となる。

これら陵墓は現在も皇室による祭祀が行われており、研究者などが自由に立ち入って調査することができない。これは調査結果によっては天皇家が万世一系であるという説を根本的に覆し得るからという見解もあり[要出典]、調査できないことに対し考古学界から批判が高まってきており、近年は地元自治体などとの合同調査を認めたり、修復のための調査に一部研究者の立ち入りを認めるケースも出てきている。 陵墓の名前などは、下記の宮内庁管理の天皇陵一覧参照。


変遷

天皇が大王(おおきみ)と呼ばれていた古墳時代には、その陵は巨大な前方後円墳であった(9代開化陵〜30代敏達陵)。 7世紀になり、ヤマト王権が大陸の政治システムの影響を受けるようになると大型の方墳円墳へと変化し、さらに7世紀中頃から8世紀初頭まで天皇陵には八角墳が採用されるようになる(舒明陵の段ノ塚古墳、天智陵の御廟野古墳、天武・持統合葬陵の野口王墓古墳、文武陵の中尾山古墳)。このような特別な八角墳が大王にのみ採用されたのは、畿内を中心とした首長連合の盟主であった大王の地位を、一般の首長を超越して中国の天子のような唯一の最高権力者として地位を確立しようとして形に表したという解釈がある。

奈良時代から平安時代初頭にかけての天皇陵は、土葬される例(聖武天皇)や、墳丘を作ったと思われる事例(桓武天皇)を経て、仏教思想の影響により、火葬の導入(持統天皇)や火葬後に散骨して大規模な造営を行わない事例(嵯峨天皇淳和天皇)などが見られるようになる。

院政期の白河天皇にいたって仏式のお堂に納骨する方式が現れ、江戸時代の後水尾天皇以降は代々京都泉涌寺に石造塔形式の陵墓が建立された。幕末にいたって尊皇思想が高揚すると天皇陵にも復古調が取り入れられ、孝明天皇陵は大規模な墳丘を持つ形式で築造された。明治天皇陵では、天智天皇陵に範を取ったといわれる上円下方式が採用され、以降、今日に至っている。また、皇后陵は中国の古式に則って(例西太后の「定東陵」)天皇陵の東に造営されることになった。そのため皇后陵は「○○東陵(○○のひがしのみささぎ)」と呼ばれる。

大正天皇以後、天皇・皇后の陵は現東京都八王子市の御料地内に作られることになり、武蔵陵墓地が成立した。一方、皇族の墓は明治天皇の皇子の死を契機として現東京都文京区大塚の護国寺裏山に設けられることとなり、現在、豊島岡墓地となっている。


管理

陵墓が今日のように整備され、管理が強化されるようになったのは明治以後のことである。律令制下においては、天皇陵をはじめとする陵墓は国家によって管理されることになっており、大宝令養老令では担当部署として治部省下に諸陵司が置かれている。その後、天平年間には諸陵司が拡充され、諸陵寮となった。平安時代前期に編纂された延喜式には、諸陵寮管理下の陵墓の一覧表が記載されているが、このころの墓には外戚(皇妃の実家:藤原氏など)の墓も含まれている。管理の具体的内容としては、陵戸・墓戸の設置がある。醍醐天皇陵の管理が醍醐寺に委ねられて以後、寺院内に造営された陵墓の管理は所領を与える条件で各寺院に任されることになり、陵墓管理が国家の手から離れていく要因となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki