陣形

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陣形(じんけい)とは、大規模なの配置隊形を言う。の勝敗に大きく作用する。軍が歩兵主体であり、弓矢のような飛び道具は盾で容易に防御でき、火力もそれほど強力ではなかった古代文明時代から近代初頭においては必要的に陣形が採用されていた。近代中頃以降は、火器の性能が大幅に向上し兵士同士の密集は自滅行為を意味するので散兵態勢が当然となり、機関砲など圧倒的な制圧力をもつ兵科が登場すると陣形は機銃掃射などのための火線構築に意味が取って代わられた。

陣形は乱戦を避け、多対一の集団戦法に持ち込むための方策である。散兵や統率を失った軍兵は個別に包囲撃破の対象となるため、陣形戦の結末は圧倒的な勝敗を見せることが多かった。陣形の戦列・戦線を崩壊させてしまうと、そこを起点に兵の逃走や包囲殲滅、伝令の不通などが発生するため、自軍の戦列を守り敵の戦線を突破するために、あらゆる形態の陣形が考案された。


日本の代表的陣形

 ここではとくに『武田八陣形』と呼ばれる、日本で戦国から安土桃山時代にかけ主に使われたものを中心に説明する。
横陣(おうじん)
部隊を横一列に並べる。もっとも基本的な陣形。大陸平野での横陣同士の会戦はもっとも遊軍が少ないが、縦隊で戦線突破されれば左右の伝令が分断され個別撃破されやすい。また局所に攻撃が集中すれば他の戦列すべてが遊軍となる。一般には馬防柵や塹壕、防塁などの地形を利用する。
魚鱗(ぎょりん)
中心が前方に張り出し両翼が後退した陣形。『△』の形に兵を配する。底辺の中心に大将を配置して、そちらを後ろ側として敵に対する。戦端が狭く遊軍が多くなり、また後方からの奇襲を想定しないため駆動の多い大陸平野の会戦には適さないが、山岳や森林、河川などの地形要素が多い日本では戦国時代によく使われた。全兵力を完全に一枚の密集陣に編集するのではなく、数百人単位の横隊(密集陣)を単位として編集することで、個別の駆動性を維持したまま全体としての堅牢性を確保することから魚燐(うろこ)と呼ばれる。多くの兵が散らずに局部の戦闘に参加し、また一陣が壊滅しても次陣がすぐに繰り出せるため消耗戦に強い。一方で横隊を要素とした集合のため、両側面や後方から攻撃を受けると混乱が生じやすく弱い。また包囲されやすく、複数の敵に囲まれた状態のときには用いない。特に敵より少数兵力の場合正面突破に有効である。対陣のさいに前方からの防衛に強いだけでなく、部隊間での情報伝達が比較的容易なので駆動にも適する。実戦では、武田信玄三方ヶ原の戦いに於いてこの陣形で徳川家康と戦闘し、これを討ち破っている。家康は後の関ヶ原の戦いで西軍の鶴翼に魚鱗をもって対峙した。
鶴翼(かくよく)
両翼を張り出しV字の形を取る陣形。中心に大将を配置し、両翼の間に敵が入ってくる(敵にとっては中心に守備隊が少ない為に大将を攻め易い)と同時に両翼を閉じることによって包囲・殲滅することが目的。ただし両翼の部隊が包囲するまで中軍が持ちこたえなくてはいけないため危険性も大きい。そこで中央部本陣を厚くY字型に編成する型がある。完勝するか完敗するかの極端な結果になりやすい。そのため相手より兵数で劣っているときには通常用いられない。こちらの隙も多く、相手が小兵力でも複数の方向から攻めてくる恐れのある場合には不利になる。魚鱗の陣と並んで非常によく使われた陣形である。部隊間の情報伝達が比較的取りにくいため、予定外の柔軟な駆動には適さない。実戦では、徳川家康三方ヶ原の戦いに於いてこの陣形で武田信玄と戦闘し、惨敗している。また、第四次川中島の戦いでは武田信玄の本隊が、別働隊が帰ってくるまで鶴翼の陣形で車掛で襲い掛かる上杉謙信の軍勢を凌いだ。
偃月(えんげつ)
鶴翼とは反対に中軍が前にでて両翼を下げた逆V字に配置する。大将が先頭となって敵に切り込むため士気も高く、また馬回りの精鋭が開幕から戦うので攻撃力も高い。しかしそれだけ大将が戦死する可能性も高い。また大将の付近が常に戦闘中になるため両翼へ指示を出す余裕がなくなることも多い。敵の横隊を精鋭で突破し戦列を分断するなど陣形の駆動を前提としており、小規模な部隊や練度の低い部隊を指揮するときに用いられる。
鋒矢(ほうし)
『↑』の形に兵を配する。矢印の後部に大将を配置し、そちらを後ろ側として敵に対する。長所と短所も魚鱗の陣をより特化した物である。強力な突破力を持つ反面、一度側面に回られ、包囲されると非常に脆い。縦横あらゆる偵察から兵を多く見せることができ、実際に敵より少数兵力である場合正面突破に有効である。陣形そのものが前方に突破し戦闘正面が本陣(司令)よりつねに前方を駆けてゆくため、柔軟な駆動には全く適さない。また前方が重厚な部隊陣形により阻止されれば後方の部隊が遊兵となり、前方部隊の壊滅による兵の逃走が同士討ちなどの混乱をもたらす危険がある。先頭は非常に危険であり勇猛かつ冷静な部隊長が必須であるとされる。実戦では島津家の軍(大将複数)が関ヶ原の戦いに於いて退却時にこの陣形で井伊直政本多忠勝松平忠吉と戦闘し、直政と忠吉を負傷させている。
方円(ほうえん)
大将を中心として円を描くように兵で囲む陣形。全方位からの敵の奇襲に対処できる防御的な陣形。移動には適しておらず迎え撃つ形となる。人数が拡散する為に局所攻撃に長時間対応するには向いておらず、攻撃を受けた場合には直ぐに他の陣形にうつして戦闘する必要がある。こちらから攻撃する場合には用いない。
長蛇(ちょうだ)
兵を隊ごとにほぼ一列に並べる陣形。縦方向に敵陣を突破する場合には、非常に有力な陣形である。ただし横方向からの攻撃に全く対応できない為に、谷など特殊な地形でのみ用いる。敵が正面以外の位置にいるときには攻撃を避けられてしまうので不利である。意図してこの陣形を構えるのではなく地形的理由などでやむなくこの形になったと言うのが正しい。衝軛(こうやく)の陣とも言う。
雁行(がんこう)
長蛇の場合よりも横幅を太くした列にし、少しずつ隊を斜めにした格好で構えた陣形。列の真中あたりに大将を位置することが多いが、敵の位置による。この場合は縦方向に相手に突撃することは無く、味方の後詰があるときにのみ先鋒部隊が用いる。後詰が休息している時に即戦力として敵と対峙する役目もある。消耗戦に弱く、長時間の戦闘では不利となる。
車掛(くるまかり、くるまがかりとも)
先に出撃した部隊が後退し、替わりに新手が出撃するという、次々に部隊ごとに攻めては退く戦法ないし陣形。越後でよく採用された陣形で、寒い冬季における合戦の際、移動し続けることで兵士の体を温める必要性から生まれたという。大将を中心に、その周囲を各部隊が円陣を組み、まるで車輪が回転するかのように入れ代わり立ち代わり各部隊が攻めては退く、というのが有力説。ただし江戸時代の創作とも言われる。上杉謙信川中島の戦いで利用したともされる。


西洋の代表的陣形
縦隊横隊
その名の通り縦、横に整列した陣形。縦隊は主に行進時の隊形であり、横隊は戦闘展開の隊形である。最も基本的な編成で、あらゆる時代を通して用いられた。
ファランクス
古代ヨーロッパの陣形。ギリシャ諸国や共和制ローマにおいて盛んに用いられた。手持ち大盾を最前列の兵士は前面に、後列の兵士は上方に並べ持ち、槍をその隙間から出す。その圧倒的な突撃力は会戦における正面戦闘では無類の強さを発揮し、マケドニア王国アレクサンドロス大王は騎兵部隊と併用して運用、歴史的な戦勝を挙げた。一方で性質上、不正規戦には不向きであり、また緊密な密集隊形で有るが故に柔軟性や機動性に欠け、一度側面を突かれると脆くも崩れる脆弱性を持っていた。
斜線陣
ファランクスを崩壊させるためにテーバイの将軍エパメイノンダスが、レウクトラの戦いにおいて創作した陣形。ファランクスの最右翼(敵側から見て最左翼)は盾の防御がなく側面攻撃に弱いことから、通常は屈強な兵士を配置するが、これに対抗するため自軍の最左翼に兵力を集中させる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki