阿野廉子
無料のエ○本?高画質
動画も対応オススメ!

[Wikipedia|▼Menu]

阿野 廉子(あの やすこまたはかどこ(不明なため暫定的にれんしと呼ばれることが多い)、正安3年(1301年) - 正平14年/延文4年4月29日1359年5月26日))は鎌倉時代後期から南北朝時代の女性。後醍醐天皇の寵妃。南朝後村上天皇(義良親王)、恒良親王成良親王祥子内親王、準子内親王の母、女院院号を新待賢門院といい、三位局とも呼ばれた。

実家の阿野家閑院流藤原氏の一つで、阿野全成源義朝の七男、源頼朝の異母弟にあたり、源義経の同母兄)の娘を母に持つ阿野実直を始祖としている。廉子は阿野公廉の娘として生まれ、同じ閑院流の洞院公賢(後に太政大臣)の養女となった。三位局御屋形跡(隠岐・西ノ島)

元応元年(1319年西園寺禧子が後醍醐天皇の中宮に冊立された際に、19歳にして上臈として入侍し、やがて禧子を押しのけてその寵愛を一身に集めるようになる。1332年に後醍醐の倒幕計画が失敗した元弘の乱が起こると、後醍醐の隠岐島配流に随行する。鎌倉幕府滅亡後に後醍醐が開始した建武の新政においては、准三后の栄誉を授かる。政治的影響力もあったと思われ、足利尊氏と結託して後醍醐と対立した護良親王の失脚、殺害にも関与したとされる。尊氏が新政に離反した後の吉野遷幸にも同行し、1359年に死去、享年59。

古典『太平記』は、廉子が後醍醐天皇から寵愛を受け、皇后と同じ扱いであったとしている。また、新政の挫折の一因にはこの廉子と護良親王による政権内抗争があるとして、「雌鳥が鳴いて夜明けを報せると一家が滅ぶ」という中国の諺を引き合いに出し、批判的な叙述を行っている。


関連項目

太平記』(NHK大河ドラマ)演:原田美枝子

この「阿野廉子」は、日本の歴史に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。

この「阿野廉子」は、人物に関する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 人物伝)。
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 人物関連のスタブ項目 | 平安・鎌倉時代の皇族 | 室町・安土桃山時代の皇族 | 南北朝時代の人物 (日本) | 1301年生 | 1359年没

更新日時:2008年10月30日(木)15:33
取得日時:2008/11/16 14:45



[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:6069 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki