阿耨多羅三藐三菩提

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この項目では宗教用語の悟りについて記述しています。コスプレにおける「悟り」については悟り (コスプレ)を、その他の「さとり」についてはさとりをご覧ください。

悟り(さとり)は知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくことを言い覚りとも書く。宗教上の悟りは迷妄を去った真理やその取得を言う。

サンスクリットでは「 ???? bodhi ボーディ 」。日本語では「菩提」「開悟」ともいう。悟りを開いた者を「buddha ブッダ」といい、漢字で音写し「仏陀」「」としたり、「覚者」と意訳したりする。
目次

1 各宗教における悟り

1.1 仏教

1.2 ジャイナ教

1.3 ヒンドゥー教(バラモン教)

1.4 キリスト教

1.5 ニューエイジ

1.6 イスラム教


2 悟りと似た意味の言葉

3 光明を得たとされる人

4 関連項目

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各宗教における悟り

悟りの意味の違いが宗教・宗派の違いであるということもできるが、般若経などでは、「覚り」と「悟り」は別のものとして使い分けられていたが、現代日本の仏教界(この記事を含む)では混乱して使われている。

悟りは段階的な手順を得て起きるとする場合と、悟りは瞬時に起きるとする場合がある。それぞれの立場の人達によりどちらが本当かの議論がされてきている。しかし、これはどちらもあり、その方法により悟りの起き方が異るとする立場もある。仏教の一つの支流である中国にも段階的な悟り(漸悟)を説く派である北方禅と、突然の悟り(頓悟)を説く派である南方禅に分かれた時期があったが、北方禅は先に廃れたため、日本に伝わるのは、突然の悟りを説く南方禅である。また、禅では悟りと大悟が区別されている。


仏教


仏教
基本教義
縁起 四諦 八正道
三法印 四法印
諸行無常 諸法無我
涅槃寂静 一切皆苦
人物
釈迦 十大弟子 龍樹
如来・菩薩
仏の一覧
部派・宗派
原始仏教 上座部 大乗
地域別仏教
インドの仏教 中国の仏教
韓国の仏教 日本の仏教
経典
聖地
八大聖地
ウィキポータル 仏教

仏教の悟り (さとり、覚り)は、原語のサンスクリットでは、bodhiボーディ、???? である。日本語・漢語では「菩提(ぼだい)」「覚悟」「証(しょう)」「修証(しゅしょう)」「証得(しょうとく)」「証悟(しょうご)」「道(どう)」「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、原語Anuttara samyaksaMbodhi)」「無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)」などの別称もある。

真理(法)に目覚めること。迷いの反対。さとりは仏教の究極目的であり、悟るためにさまざまな修行が説かれ実践される。仏教の悟りは智慧を体としており、凡夫(ぼんぶ)が煩悩(ぼんのう)に左右されて迷いの生存を繰り返し、輪廻(りんね)を続けているのは、それは何事にも分別(ふんべつ)の心をもってし、分析的に納得しようとする結果であるとし、輪廻の迷いから智慧の力によって解脱(げだつ)しなければならない、その方法は事物を如実(にょじつ)に観察(かんざつ)することで実現する。これが真理を悟ることであり、そこには思考がなく、言葉もない。

釈迦(しゃか)は多くの哲学者や宗教家の教えを受け、苦行にも専念したが悟りを得られなかった。そこで今までの修行法をすてて、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し身を清め、村娘スジャータから乳粥(ちちがゆ)の供養(くよう)を受けて河を渡り、対岸のピッパラ樹の下で坐禅をして禅定に入った。その禅定がしだいに深化し、三昧の中で「三明」が顕れ、真理を悟ることができた。これによって釈迦は悟った者(覚者)、すなわち「ブッダ(仏陀)」になったのである。

この悟りの境地を「涅槃(ねはん)」といい、それは「寂静(じゃくじょう)」であるとされる。煩悩が制御されているので、とらわれのない心の静けさがあるということである。

また、悟りを求める心を菩提心という。悟りを求める点では部派仏教大乗仏教も共通であるが、自分のさとりを追求する部派仏教の場合、声聞(しょうもん)は四諦(したい)の教えを聞いて修行し、縁覚(えんがく)は十二因縁を覚ってそれぞれ解脱するとする。

また「覚り」とも言い、部派仏教の旧訳(くやく)ではサンスクリット語「vitarka」の訳である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki