阿波丸事件(あわまるじけん)とは、1945年(昭和20)4月1日にシンガポールから日本へ向けて航行中であった貨客船「阿波丸」が、アメリカ海軍の潜水艦「クイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393)」の魚雷3本(4本との説もあり)を受け台湾海峡で沈没した事件。
目次
1 概要
1.1 緑十字船
1.2 国際法違反
1.3 積載物
1.4 攻撃
1.5 戦後賠償
2 事件により死去した著名人
3 阿波丸事件を題材とした作品
4 関連書籍
5 関連項目
6 外部リンク
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この事件で、船員1人を除く2,129名(2,004名との説もあり)が死亡した。その多くはシンガポールから内地への引き上げ者だった。なお、阿波丸は、アメリカ政府の「日本占領地のアメリカ人捕虜へ慰問品を送ってほしい」という要請に応じた緑十字船であり、これに基づき阿波丸は病院船扱いの安導権(=Safe-Conduct)を与えられ、船体は白く塗られ、夜間は船体脇と煙突に緑十字の形を照らし出し、夜間の誤認による攻撃を防ぐようになっていた。この様に航海の安全が保障されていたにもかかわらず攻撃された理由は、日本側が戦時禁制品を積み込んだためとも、単なる誤認攻撃のためともされるが、明確にはわかっていない。
撃沈直後より戦時国際法違反として日本は抗議、アメリカ側もこれを受け入れ責任を認めた上で、賠償問題については戦時であり直ちに交渉することは困難であるとし、終戦後に改めて交渉を行なうことを提案。戦後になり日本側から阿波丸の代船を提供することや6,150万ドルの賠償金を求める等の賠償請求が出され、アメリカも当初はそれに応じる筈だったが、当時のGHQ司令官ダグラス・マッカーサーが賠償を強く拒否したため交渉は暗礁に乗り上げた。
阿波丸には、往航時には既に、600tの武器弾薬、予備部品が積載されていた。また撃沈時にはシンガポールからスズ3,000t 生ゴム3,000t その他の貴金属、希少金属類等が積載されていた。また便乗者として官僚や大手民間会社の社員なども乗り込んでいた。なお、このような戦時禁制品や官僚の輸送は本来の許可内容から外れるものであり、このことは、アメリカ軍の写真偵察や通信の傍受によって確認されていた。船長は積み込みに反対したが、軍部に押し切られている。本来なら阿波丸は、空荷で帰路につかねばならず、日本の条約破りもまた明らかで、この時点で正当な攻撃対象となりえるという意見がアメリカ海軍内にあった。
攻撃までの経緯は不明な点が多いが、偵察情報で阿波丸への軍需物資積載を確認したアメリカ太平洋潜水艦隊司令官のロックウッド少将は、阿波丸を正当な攻撃目標として、ニミッツ大将に攻撃許可を要請したが、返答は無かった。ロックウッド少将はこれを黙認と受け取ったようであるが、阿波丸を攻撃した場合、捕虜に対しての報復を心配する意見もあった。実際には阿波丸への攻撃禁止命令はすぐに下されていたものの、潜水艦「クイーンフィッシュ」が根拠地サイパンを出る際その旨を記した命令書が一般書類に紛れて艦長の確認が遅れた上、阿波丸の位置情報を知らせる電報の伝達が遅れてしまい(いくつものセクションをまたがっての連絡であった上、暗号解析されることを嫌った米海軍が阿波丸の情報を得てから相当時間が経った後、平文であやふやな電報を送ったなどの原因が重なったため)、結果的に艦長は阿波丸に対する攻撃を敢行し撃沈してしまった。「クイーンフィッシュ」の艦長は、「不注意」ということで軍法会議で有罪判決(戒告処分)を受けている。
よく誤解されていることに、連合国側の圧力により日本は阿波丸事件の賠償請求権を強制的に放棄させられたと言われているが、事実はかなり異なっている。前述にもあるように終戦後マッカーサーが強硬に賠償を拒んだことが事態を複雑にしていた。一旦は非を認めたものの身内からの思わぬ反発に苦慮したアメリカ政府は、代案として当時アメリカが日本に対して行っていた有償食料援助の借款額を18億ドルから4億9千万ドルへ棒引きする代わりに、日本へ阿波丸の賠償請求権を放棄するよう求めた。アメリカ側の破格な提案に当時の日本政府もこれを了承し、昭和24年阿波丸への賠償請求権を放棄し日本政府がアメリカに代わって賠償を行う旨を国会で正式に決定した。結果的には十分とは言えないものの、当初日本側が考えていた以上にアメリカから阿波丸事件への賠償を引き出すことに成功している。
戦時中に行方が分からなくなった北京原人の頭蓋骨が積載されていたという説もあり、数年前には中華人民共和国政府が船体の引き揚げを計画しているとの報道がなされた。しかし、既に1979年に中国政府によって阿波丸のサルベージが行われており、回収された遺骨や遺品は日本側に引き渡されている。
事件により死去した著名人
小川郷太郎(1876年生) - 京都帝国大学教授から政治家に転じ鉄道・商工大臣を歴任。ビルマを占領した第15軍の軍政顧問。
笠間杲雄(1885年生) - 外交官。岩波新書『回教徒』の著者。陸軍司政長官(調査局長)としてボルネオ守備軍司令部に赴任。軍政顧問など歴任。
東光武三 - 元大東亜省南方事務局政務課長。
阿波丸事件を題材とした作品
「シェエラザード」(浅田次郎の小説)