阿武隈急行線(あぶくまきゅうこうせん)は、福島県福島市の福島駅から宮城県柴田郡柴田町の槻木駅に至る阿武隈急行が運営する鉄道路線である。旧国鉄特定地方交通線及び日本鉄道建設公団建設線であった丸森線(まるもりせん)を引き継いだものである。
地元では「あぶきゅう」の愛称で親しまれている。
目次
1 路線データ
2 歴史
2.1 年表
3 運転
4 車両
5 利用状況
5.1 輸送実績
5.2 収入実績
6 駅一覧
7 記念乗車券・フリー乗車券
8 その他
8.1 阿武隈急行線(丸森線)と東北本線
9 関連項目
10 外部リンク
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路線データ
管轄(事業種別):阿武隈急行(第一種鉄道事業者)
区間(営業キロ):福島 - 槻木 54.9km(福島 - 矢野目信号場間(4.7km)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線にも属する二重戸籍区間)
軌間:1067mm
駅数:23駅(起終点駅含む。ほかに信号場1)
複線区間:福島 - 矢野目信号場 4.7km(上記参照)
電化区間:全線(交流50Hz・20,000V)
閉塞方式:単線自動閉塞式(福島 - 矢野目信号場は複線自動閉塞式)
第三セクター転換時に有効長が短縮されたことや一部駅の交換設備設置が見送られた影響からか、ポイント型の不自然な曲線や駅構内・周辺の空地があちこちに存在する。
太平洋戦争後、東北本線などの輸送量が増加してきたが、東北本線は福島県内、特に福島駅前後の急勾配の介在する区間がネックとなり、上野 - 仙台以北へのほとんどの優等列車は勾配の緩い常磐線経由で運転されていた。東北本線自体の輸送力増強も急務となってきており、勾配緩和の必要性もあって、東北本線のバイパス線として阿武隈急行線の前身である丸森線が計画された。
改正鉄道敷設法別表第27号に「福島県福島ヨリ宮城県丸森ヲ経テ中村(常磐線相馬)ニ至ル鉄道及丸森ヨリ分岐シテ白石ニ至ル鉄道」として計画されていた予定線のうち、阿武隈川に沿う部分が勾配緩和ルートとして注目され、1953年8月に第21号の2「宮城県槻木付近ヨリ丸森ニ至ル鉄道」が予定線に追加。第27号の福島 - 丸森間と合わせて1964年に着工された。
1968年に槻木 - 丸森間が開業したものの、その間の国鉄の方針転換により東北本線の輸送力増強は複線電化により実施することになり、残り区間の開業は見送られた。
非電化の行止り線のままとなった既開業区間は、CD線(主要幹線・大都市交通線)規格が災いし、駅も市街地から離れているなど沿線からの集客を考慮されなかったことから、乗客数が伸びなかった。昭和40年代には営業係数が4000を越し、宇品線や根北線と共に「日本有数の赤字線」として鉄道ファンなどに知られていた時期もあった。
1980年に国鉄再建法が施行されると、丸森線は1981年に第1次特定地方交通線として承認され、ほとんど路盤の完成していた建設線も工事が凍結された。
しかし、福島・宮城両県は、福島 - 仙台間の都市間輸送や近郊輸送、阿武隈川の観光開発が期待できることから、丸森線を既開業区間共々引き継ぐ第三セクター鉄道会社の「阿武隈急行株式会社」を設立した。
丸森線の真価は、全通してこそ発揮できるため、阿武隈急行側は全通後の開業を主張し調整は難航したが、結局、1986年7月に既開業線を先行して非電化のまま暫定開業し、車両はオリジナル塗装に変更したキハ22形気動車5両(148・152・159・160・162)を国鉄から借入れての営業となった。全通・電化はその2年後の1988年7月である。なお、工事再開に当たってはAB線(地方開発線・地方新線)に変更している。
(福島 - 槻木間)全線開通に当たっては、東北の政商と呼ばれ福島交通を経営していた小針暦二が、同社バス路線と競合する丸森線の全線開通に反対しているという噂があったが、1993年に渡米入院した小針への日本経済新聞紙とのインタビューの中で、「私が反対した。」と事実であることを認めている。
なお福島 - 梁川間には、阿武隈急行線の開業する前の1910年 - 1971年にかけて、信達軌道 - 福島交通飯坂東線という軽便鉄道 - 路面電車も運行されていた。また1897年 - 1929年には、槻木 - 角田間に角田軌道という軽便鉄道も存在した。
年表
1968年(昭和43年)4月1日 - 【開業】丸森線 槻木 - 丸森(17.4km) 【駅新設】横橋、岡、角田、丸森