獲得メダル
日本
女子 柔道
オリンピック
金200478kg級
世界柔道選手権
銀199372kg超級
金199772kg級
金199978kg級
金200178kg級
金200378kg級
アジア大会
金1994無差別級
阿武 教子(あんの のりこ、1976年5月23日 - )は、山口県阿武郡福栄村(現萩市)出身の、旧72キロ超級・78キロ級の元柔道選手であり、警察官である。2004年アテネオリンピック柔道女子78kg級金メダリスト。
目次
1 来歴・人物
1.1 オリンピック
2 補足
3 注釈
4 戦績
5 関連項目
6 外部リンク
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父の手ほどきにより、3歳から柔道を始める。柳川高校、明治大学文学部卒業。その後、警視庁に入庁。1996年までは当時の最重量級である72キロ超級の選手だったが、その後階級の区切りが変更となったことに伴い、1997年は72キロ級、1998年以降は78キロ級の選手となった。
高校1年時の1992年、世界ジュニア選手権で2位を獲得。翌1993年には全日本選手権、全日本選抜体重別背選手権で優勝。その後、全日本選手権では1996年まで4連覇、全日本選抜体重別選手権では引退まで一度も優勝を譲らず12連覇を達成している。
また福岡国際では、1993年から3連覇。世界選手権では初出場の1993年に2位、1997年から2003年までは4連覇を記録。国内外を問わない活躍を見せ、「重量級の女王」として、「軽量級の女王」であった田村亮子と共に女子柔道界に君臨し続けた。また、2004年にはアテネオリンピックで金メダリストとなり、女子選手では初の3冠[1]を達成した。
アテネオリンピック後、「強化指定選手」の辞退を申し入れ、実質的な現役引退。「意欲が湧けば現役復帰もあり得る」と話してはいたが、その後試合に出場したことはない。引退後はフランスにコーチ留学し、現在は全日本の女子ジュニアコーチを務める。
圧倒的な強さを見せていた阿武だが、オリンピックだけは鬼門となっていた。初参加のアトランタ大会では、開始30秒で一本負け。阿武のキャリアの中でも、同性に対しての一本負けは珍しいものだった。
シドニー大会でも、全く自分の試合が出来ないまま初戦敗退。2度の五輪で優勝はおろか1勝も出来ない様子は、「柔道界の七不思議」と言われるほどだった。また阿武もシドニー後は特に大きなショックを受け、1ヶ月間柔道着を着なかったという。
3度目となったアテネ大会では、2度の五輪での自分の試合を見るなど、メンタル面での切り替えも行って大会に参加。2回戦(阿武は1回戦はシード)で、ケイビ・ピントから押さえ込みで1本を奪い、五輪初勝利を記録すると、そのまま勝利を重ね決勝まで進出。
劉霞との決勝では、残り22秒で袖釣込腰で1本を奪い、3度目にしてようやく金メダリストとなった[2]。警視庁職員の五輪柔道での金メダルは、1972年ミュンヘン五輪中量級の関根忍以来。女性警察官としては史上初の金メダルだった。
補足
警官としての階級は警部補であり、オリンピック金メダリストとなった後に昇進した。賞歴は世界柔道選手権優勝記録多数、その他アテネ五輪柔道女子78キロ級金メダル。紫綬褒章、警察功労章受章。
共に柔道の元強化指定選手であった兄と姉がいる(姉は日本代表としてベオグラード世界選手権出場経験あり)。
女子選手では、史上最年少で四段を取得している。
北京オリンピックにおいては、女子重量級のTV中継にて解説を担当。自らの経験に裏打ちされた解説を行った。
注釈^ オリンピック、世界選手権、全日本選手権の全てで優勝経験を持つこと。
^ その前の準決勝で、セリーヌ・ルブランとゴールデンスコアを含め9分41秒に及ぶ試合をした後だった。
戦績
1993年-1996年、1999年 -全日本選手権(無差別)に合計5度の優勝
1993-2004年 -全日本選抜体重別選手権12連覇
1992年 - 世界ジュニア選手権2位
1993年 - ハミルトン世界選手権72キロ超級2位
1995年 - 幕張世界選手権72キロ超級及び無差別 ともに5位
1996年 - アトランタ五輪72キロ超級 初戦敗退
1997年 - パリ世界柔道選手権72キロ級で優勝
1999年 - バーミンガム世界柔道選手権78キロ級で優勝(2連覇)
2000年 - シドニー五輪78キロ級で初戦敗退
2001年 - ミュンヘン世界柔道選手権78キロ級で優勝(3連覇)
2003年 - 大阪世界柔道選手権78キロ級で優勝(4連覇)