関門海峡(かんもん かいきょう)は本州の下関市と九州の北九州市を隔てる海峡。名称は両岸の地名である、馬関(現 下関市)の「関=カン」と、門司(現 北九州市門司区)の「門=もん」をとったものである(難関という意味の関門ではない)。旧名は馬関海峡(ばかん かいきょう)。
本州と九州を隔てる水路を大瀬戸(おおせと)といい、彦島と本州を隔てる水路を小瀬戸(こせと)または小門海峡(おど)という。大瀬戸の幅が約600mまで狭まる壇ノ浦 ? 和布刈間は早鞆の瀬戸(はやとも の せと)という。一般には大瀬戸の下関―北九州市門司区の間を関門海峡と呼ぶ。
目次
1 歴史
2 交通
2.1 海上交通
2.2 陸上交通
2.3 事故
3 唱歌
4 関連項目
5 外部リンク
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歴史関門橋
1185年(元暦2年/寿永4年)3月25日 - 壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水、平家一門が滅亡
1863年(文久3年)7月16日 - 長州藩が馬関海峡を通過するアメリカ商船に砲撃を開始、翌年5月の馬関戦争の原因をつくる
1895年(明治28年)4月17日 - 日清戦争の講和条約(下関条約)が海峡に面した割烹旅館「春帆楼」で調印
1942年(昭和17年)11月15日 - 日本初の海底トンネル・関門鉄道トンネルが開通。
1945年(昭和20年)3月27日から7月11日まで - B29による機雷敷設。総計約5000個(日本に投下された機雷総数の半数にあたる。)
1958年(昭和33年)3月9日 - 関門国道トンネルが開通。
1973年(昭和48年)11月14日 - 高速道路の関門橋が開通。
1975年(昭和50年)3月10日 - 新幹線の新関門トンネルが供用開始。
工業地帯の集中する瀬戸内海と、日本海を挟んで近年発展がめざましい中国などとの往来には、近傍に適当な海路がないことから関門海峡の通過が不可欠である一方、海峡の狭さが故に水先案内人(パイロット)の同乗が義務づけられていることなどから、内外の海運業にとっては頭痛の種となっている。このような状況を鑑みて、航行に支障になる堆積物の除去と(事故等による)油回収に機動的に対応するために、専用船舶(海翔丸)が国土交通省九州地方整備局関門航路事務所に配備されている。
海峡の狭さが故に、早い段階から海底トンネルや橋が整備され、現在合わせて4本のトンネルと橋梁が本州と九州をつないでいる。そのはしりと言える1942年の鉄道トンネル開通、1958年の国道トンネル開通に伴って、鉄道や自動車により頻繁に往来が行われるようになった。以降、海峡両岸は強力に結びつけられ、下関市と北九州市ならびに両市の周辺地域は、海峡を跨いだ「関門都市圏」と呼ばれる一つの都市圏を形成するようになっている。一度大事故が発生し、鉄道や車が海峡間で使用不能になると、その影響は計り知れない。
関門トンネル
関門国道トンネル
関門鉄道トンネル
新関門トンネル
関門橋(めかりパーキングエリア・壇之浦パーキングエリア)
事故
1953年6月28日 - 梅雨前線の影響で大雨となり、関門鉄道トンネルが水没した。幸いにも死傷者は出さなかったが、門司駅〜下関駅間は21日間に渡って不通となった。
2005年3月20日 - 福岡県西方沖地震で北九州市で震度5弱、下関市で震度4の強い地震が発生した時、関門鉄道トンネル、新関門トンネル、関門橋が一時不通となり、小倉〜下関間の交通を麻痺させた。