閑院宮春仁王

[Wikipedia|▼Menu]

閑院宮春仁王
1902年8月3日 - 1988年6月18日


所属組織大日本帝国陸軍
最終階級陸軍少将
指揮戦車第4師団
賞罰大勲位
除隊後春日興業社長

閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう 明治35年(1902年8月3日 - 昭和63年(1988年6月18日)は、日本の皇族陸軍軍人で、階級は大勲位陸軍少将に昇る。閑院宮載仁親王の第2王子。兄宮の篤仁王が生後すぐに薨去したため、実質長男として育ち、父載仁親王薨去にともない閑院宮を継承した。

戦後は皇籍を離脱し、姓を閑院とし閑院春仁と名乗った。のちに純仁と改名した。
目次

1 来歴

1.1 戦前

1.2 皇籍離脱後


2 経歴

3 血縁

4 著書・参考文献

//


来歴


戦前

学習院初等科を健康上の理由で長期休学し、その後神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、1924年大正13年)7月陸軍士官学校(36期)を卒業し、同年10月には陸軍騎兵少尉に任命、近衛騎兵連隊に配属される。

北支那方面軍参謀、陸軍大学校教官を経て1941年昭和16年)4月新設の総力戦研究所の聴講生となる。1942年(昭和17年)戦車第5連隊長に補職。

将校の進級は実役停年(定められた年数を経て、実績を上げることで、次の階級に進む)という規定によって行われるので、一般将校は通例規定年数以上の年月をかけて進級していくが、皇族は規定年数通りの最小期間で進級する。そのため、春仁王は1945年(昭和20年)6月に同期将校の中で歿後進級の例を除きただ一人普通進級で少将まで進んだ(歿後進級では3名の例がある)。

同年8月には戦車第4師団の師団長心得。この師団は九十九里浜を重点に千葉県内に配備されており、3個連隊約6,000名の大所帯であった。実際の指揮は隷下戦車連隊長の島田豊作大佐がとったとされるが、敵軍の上陸に備え九十九里浜・鹿島灘相模灘等で準備中に終戦を迎える。終戦にあたり、大詔換発の聖旨並びに停戦大命の徹底を期し、天皇の名代として南方(サイゴン)に派遣される。


皇籍離脱後

1945年(昭和20年)11月11日東久邇宮稔彦王は敗戦の責任を取るため、皇族の身分を離れる意向であることを表明した。賀陽宮恒憲王もこれに同調し、また、当時朝日新聞は皇族の範囲を狭めることによって『累の上御一人に及ぶことを全力を挙げて未然に避けん』とする等、世論も歓迎する方向であったが、春仁王が「皇族の使命を軽んじ自ら卑下して時勢におもねるもの」と発言する等、このような動きに反発する皇族も多く、時の宮内大臣石渡荘太郎臣籍降下の勅許は得られないであろうとの見解を示した。

この問題は宮相発言によりいったん決着を見たかのようであったが、翌月には梨本宮守正王戦犯に指名される等、天皇・皇族も戦争責任も免れないことが明示された。さらに、昭和21年(1946年5月23日GHQより『皇族の財産上その他の特権廃止に関する指令』が発せられ、財政上、従前の規模の皇室を維持することは困難となった。昭和天皇は「諸般の事情から真に遺憾であるが臣籍降下も止むを得ない」と述べて皇族たちを説得し、皇族会議を経た後正式に11宮家51名の臣籍降下が決定された。

1947年(昭和22年)10月14日皇籍離脱、閑院春仁と名乗る。永田町の本邸跡地を売却した後、東京を離れ、かつての小田原別邸に移住する。のち、直子妃と離婚して純仁と改名する。その後、直子がマスコミに純仁は同性愛者であったと語り、一時スキャンダルに見舞われた。

その後、春日興業を設立して社長に就任し、東海道本線田町駅前に春日ビル(現NEC春日ビル)を建設するなど、旧皇族の中では比較的経済的に成功したひとりであった。晩年はヨガに傾倒し、また地方の農業の改革を訴える活動を行っていた農民運動家に協力するなどしていたが、概ね静かな余生を送った。1988年(昭和63年)6月に死去する。


経歴

明治35年(1902年)8月3日誕生
大正 5年(1916年)学習院初等科長期休学後、神奈川県立小田原中学校入学
大正10年(1921年)3月神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)卒業
大正11年(1922年)8月貴族院議員(皇族議員)
大正13年(1924年)7月陸軍士官学校卒業(36期)
大正13年(1924年)10月任陸軍騎兵少尉・近衛騎兵連隊附
昭和2年(1927年)7月陸軍騎兵学校卒業
昭和2年(1927年)10月任陸軍騎兵中尉


女性限定!マヂ売れすぎ
アソコ専用ソープ!最後の半額

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[この項目を更新]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:14 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki