開発独裁(かいはつどくさい、developmental dictatorship、developmental autocrat)
経済発展のためには政治的安定が必要であるとして、国民の政治参加を著しく制限する独裁を正当化することである。
また、そのような政治運営を通して達成した経済発展の成果を国民に分配することによって、支配の正当性を担保している政治体制を「開発独裁体制」という。より明確な定義を与えた「開発主義」という用語が用いられている。
企業や研究機関が行う商品化の流れの中で、研究開発期と量産期の間に立ちはだかる、いわゆる「研究開発における死の谷」という困難な時期がある。これを乗り越えるためにトップダウン型で行う方法論。
本項では暫定的に1を扱う。
目次
1 概要
1.1 由来
1.2 権力独占と抑圧された民主主義
1.3 開発独裁と共産主義
1.4 開発独裁の終焉
2 開発独裁が行われた主な国
3 関連文献
4 関連項目
//
政治研究者として初めて「開発独裁」という用語を用いたのは、イタリアのグレゴールによる1979年の著作(James Gregor, Italian Fascism and Developmental Dictatorship, Princeton University Press, 1979)であったとされるが(末廣、1994年、211頁)、その後、彼による開発独裁概念が引き継がれることはなかった。
むしろ、アジア・ラテンアメリカの政治体制を分析するために用いられたのは、「官僚的権威主義 bureaucratic authoritarianism」、「官僚政体 bureaucratic polity」、「抑圧的開発政治体制 repressive developmentalist regime」といった諸概念であった。
「開発独裁」という用語がはじめて用いられたのは1980年代前半であるが、比較政治研究者・地域研究者などをはじめとして、日本語話者の政治研究者のあいだでは「開発独裁」という語を用いることにはきわめて慎重であった。
日本で1980年代半ば頃から「開発独裁」という用語がマスコミ上で頻繁に現れるようになったのは、韓国や台湾での民主化運動が高揚し、またアジア各地で開発による負の側面が大きくクローズアップされ、それらの地域の各政権に対する批判が生じてからであった。当時「開発独裁政権」と名指しされたのは、フェルディナンド・マルコスのフィリピン、スハルトのインドネシアなど、東南アジアの反共諸政権であった。
それらの政権はファシズムとは違うため、開発独裁という語が用いられはじめた形跡があるが、その際かならずしも、類似する用語と並べての理論的整理や、概念の精緻化が図られたとは言いがたい。
当初、開発独裁政権と目された諸政権には、1980年代初頭に消滅したものもあれば、冷戦終了後からアジア経済危機後に消滅したものもある。しかし、今日においても「開発独裁」という用語自体は、1980年代後半にアジア諸国に対して批判的に用いられた頃の「語感」のまま、その対象地域を地理的・歴史的に拡散させつつ(ときに不用意に)使用されている。今日でもなお、慎重な検討を要する用語であることに変わりない。
フィリピンのマルコス政権やインドネシアのスハルト政権、タイのサリット政権といった「開発独裁」国家では、開発政策を推進する上で、軍部出身者や国家官僚などの少数のエリートが権力を独占して国家運営を行なった。利権を私物化することになるため国民には隠蔽される。
これらの開発途上国が経済発展・工業化をめざして開発政策を推し進めていくためには、国家の諸資源を一元的に管理して、計画的かつ優先的に経済開発に投入する必要があった。しかし、こうした開発途上国の政治過程に、地域的・党派的・イデオロギー的・宗教的に多様な集団と、それらを代表する政党などが、選挙や議会制民主主義を通じて参入してくれば、各派の利害が錯綜して、それら調整することは難しくなる。実際、限られた国家資源を各派の政治家が争って食い物にしあうような汚職や腐敗も目立った。タイやインドネシアで開発独裁政権が生まれたのは、それに先立つ時期に、そうした「議会政治の失敗」や「政党政治の腐敗」を経験してからのことであった。
開発独裁政権下では、結社の自由や言論の自由が抑圧され、秘密警察・治安警察による社会の監視体制が作られた。興味深いことに開発独裁が起きた殆んどの国では共産党が強い影響力を持っており、共産党は厳しく弾圧された。労働運動も政府の御用組合のみが存続を許されていたにすぎない。
開発独裁の「独裁」とは、他ならぬこうした権力の独占状況と、国内における政治的自由の抑圧状況を指し示しているが、開発独裁政権においても「民主主義」的諸制度が全面的に否定されていたわけではない(この点が複数政党制や普通選挙を否定する共産党指導下の一党独裁制と異なるところである)。
開発独裁政権下では、さまざまな制約下で政党・議会・選挙などの民主的諸制度は存続した。しかし、それらは制度的外観を備えているにすぎないもので、開発独裁政権にとって、それらは政権の「民主的」な正当性を内外にアピールするために必要とされていたにすぎない。実際には、選挙は政府の厳重な監視下に置かれて実施され、政権与党の圧勝劇を演出し、議会には先鋭的な対立は持ち込まれなかったのである。