南長野運動公園野球場
(長野オリンピックスタジアム)
Nagano Olympic Stadium
施設データ
所在地長野県長野市篠ノ井東福寺上組北320(南長野運動公園内)
開場2000年
所有者長野市
管理・運用者電算・コナミスポーツグループ(指定管理者)
グラウンド内外野:透水性砂入り人工芝
照明照明塔:6基
最大照度:投捕間2500Lx
内 野2000Lx
外 野1000Lx
(照度可変)
設計者
使用チーム ? 開催試合
信濃グランセローズ(2007年〜現在)
収容能力
30,000人
グラウンドデータ
球場規模グラウンド面積:14,200m?
両翼:99.1 m、中堅:122 m
フェンス4.0m
長野オリンピックスタジアム(ながのオリンピックスタジアム)は、長野県長野市篠ノ井東福寺の南長野運動公園内にある野球場。正式名称は南長野運動公園野球場(みなみながのうんどうこうえん・やきゅうじょう)。施設は長野市が所有し、電算・コナミスポーツグループが指定管理者として運営管理を行っている。
スタンドの躯体はサクラの花をモチーフにデザインされており、内野2階スタンドが花びらを、6基の照明塔が花弁を模している。
目次
1 歴史
1.1 愛称について
2 主なエピソード
3 施設概要
4 交通
5 関連項目
6 外部リンク
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1997年7月に第11回FNSの日(疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャル11・真夏の27時間ぶっ通しカーニバル 〜REBORN〜)の中で開催した全国フリースロー選手権大会の長野放送の中継場所として使用したのが本当の使用開始。そして翌年の1998年2月に開催された、長野冬季オリンピックの開会式・閉会式の会場として使用された。まず五輪に合わせて現在の内野スタンドの部分が先行して建設され、外野スタンドの位置には鉄骨で組まれた仮設スタンドが設けられていた。
開催終了後の同年春から改修工事が施され、2000年3月に両翼99.1m、中堅122m、内外野全面人工芝の野球場として開場。当時の正式名称は南長野運動公園多目的競技場(−・たもくてききょうぎじょう)。完成と同時に愛称「長野オリンピックスタジアム」が付与された(詳細は後述)。
初のプロ野球公式戦は、2000年5月20日・21日に開催されたパ・リーグ公式戦・西武対オリックス2連戦。プロ公式戦初本塁打は、当時西武に在籍していた中嶋聡が放った。またセ・リーグの初公式戦は8月1日に開催された広島対ヤクルト17回戦。
以来、毎年1〜3カードのプロ野球公式戦が開催されており、2002年7月にはフレッシュオールスターゲームが、また2003年10月にはプロ野球ファーム日本選手権が開催された。その他、長野県及び北信越地区の社会人野球の公式戦でも使用される。人工芝ということで野球以外でも利用されており、毎年4月に開催される「長野オリンピック記念 長野マラソン」は、ここがゴールとなる。オリンピックスタジアムには、走者は一塁側のゲート(グラウンド搬入口)から入場し、外野のフェンス沿いを通り三塁側の内野側をゴールとするコースが設けられる。
2007年からは、北信越BCリーグの信濃グランセローズがホームゲームの主たる開催野球場として使用している(同リーグの方針により、所属4球団は特定の本拠地野球場を設けていない)。
なお、長野県南部(松本市など中信、飯田市など南信)は中日新聞の販売エリアとなってはいるが、中日ドラゴンズの地方主催公式戦は長野県内では開催されない(長野市など北信、上田市など東信は同紙の販売エリア外である)。
スタジアムの愛称は公募によって決定された。候補としては「フラワー」「さくら」など、スタンドの形状に因むものも応募されたが、長野五輪に因む名称が多く寄せられたため、長野市は「オリンピック」を愛称として採用することを内定。2000年2月1日に国際オリンピック委員会(IOC)の承認を得た上で正式に決定した。
但しIOC側から長野市に対しては、五輪マークをみだりに使用しない、ノベルティグッズの制作等の宣伝利用を行わない等々の条件が付けられた上で使用認可が下りており、五輪マークは球場正面のバルコニー部と、正面玄関の長野五輪開催地を示すエンブレム以外には掲出されていない。
2001年8月22日、DA PUMPのコンサートが当スタジアムで行われた。DA PUMPは同年夏、全国で野外ツアーを行っていた。
コンサートそのものは無事に開催されたものの、公演中、スタジアムの周辺の住民から騒音の苦情が相次いだ。これを受け、管理する長野市側はコンサート会場としての使用を当面の間禁止すると発表。そのため現在のところ、これがオリンピックスタジアムで行われた唯一のコンサートとなっている。
2004年オールスターゲーム
2004年7月11日にはオールスターゲーム第2戦が開催された。