鉄道の電化(てつどうのでんか)とは、鉄道の動力を電気にすることである。電化された鉄道のイメージ(架空電車線方式 千葉駅にて)
目次
1 概要
2 方式
3 各国の事例
3.1 日本における進展
3.1.1 旅客線の電化
3.1.2 旅客線が完全電化されている都府県
3.1.3 旅客線がほぼ電化されている県
3.1.4 旅客線がほぼ非電化の県
3.2 日本国外の例
4 ディーゼル化による電化路線の非電化路線化
5 一部電化による路線の分断
5.1 電化・非電化区間が混在する路線
6 関連項目
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鉄道は蒸気機関を動力としてスタートした。しかし、1879年にベルリン工業博覧会での電機会社シーメンスによる電車の試験運行の実施、1887年にアメリカ人スプレーグが考案した電気軌道が敷設され、軌道では馬力等から電気動力による運行が主流となってゆく。この流れの中で、鉄道の電化が始まった。
鉄道において電気動力は、蒸気機関や内燃機関に比べエネルギー消費率で優れ、輸送力増強や速度向上といった輸送サービスの改善にも向く。
車両内部に蓄電池などの電源を持つものと、車両外部から電気を取り入れるものがあるが、圧倒的に後者が多い。外部からの集電方法は、大きく分けて架空電車線方式と第三軌条方式がある。また、電源は直流を用いるものと交流を用いるものがある。詳細は直流電化、交流電化を参照されたい。
車両内では、外部から取り入れた電力を主電動機の種類に応じて変換の上で使用する。詳細は電車、電気機関車等を参照されたい。
国策や資源(電力)事情、産業の動向などにより、各国での電化率には偏りが見られる。スイス、ロシアといった国々が90%を越え、ドイツ、オランダ、日本が50%を越える比率なのに対し、アジア・太平洋地域は全体で3割程度である。近年では韓国・中国が鉄道電化比率を急速に上げている。
電気軌道では、1895年に京都で京都電気鉄道が開通しているが、一般の鉄道では甲武鉄道(現在のJR中央本線)が1904年に飯田町?中野を電化したのが始まりである。甲武鉄道は1906年に国有化され国有鉄道初の電化区間となった。以降、大正期は山手線など東京都市圏での通勤電車の走行を目的に実施され、昭和初期には城東線(現在の大阪環状線)など大阪都市圏でも実施された。
しかし、幹線鉄道では東海道本線の東京?国府津間(1925年までに電化)を除けば、碓氷峠(1912年。先述の甲武鉄道を除けば国有鉄道初)や清水トンネル(1931年)、関門トンネル(1941年)など、山岳地帯や長大トンネルで局地的に実施されていたに過ぎない。これには当時の軍部が国有鉄道を建設・運営する鉄道院・鉄道省に対し、戦時に変電所を攻撃されると運転不能になることを理由に、基本的には非電化とすることを主張していたことも影響している。例えば、後に東海道新幹線として帰結する「弾丸列車計画」でも静岡以西は非電化による蒸気機関車牽引で計画されている。
一方、私有鉄道では、甲武に続き南海鉄道が難波?浜寺公園間を1907年に電化した。その後の一般鉄道の電化は低調であったが、名古屋鉄道など電気軌道系の路線が郊外へ延び大規模な路線網を形成してゆく。アメリカのインターアーバンの影響を受けたもので、後に一般鉄道並の施設になった路線も多い。そして、大正末期?昭和初期にかけて、東武鉄道、大阪鉄道、豊川鉄道など一般鉄道の電化が進むほか、目黒蒲田電鉄、宮城電気鉄道、富山電気鉄道など当初より電気軌道の利便性を兼ね備えた電気鉄道の開業が相次いだ。結果、1930年代には全国的に電気軌道系・鉄道系問わず、電化路線が散見されるようになる。中には、大阪電気軌道・参宮急行電鉄の上本町(大阪)?宇治山田(伊勢)や東武鉄道の浅草(東京)?日光など、全長100kmを越える路線も出現した。
太平洋戦争の敗戦後、石炭の価格が高騰した。これにより非電化私鉄は燃料の確保に支障をきたし、淡路交通、十和田観光電鉄など1950年前後に多くの路線が電化を実施することになる。しかし、その後は燃料事情が好転、また石油類の安定供給ならびにディーゼル動車の普及に伴い、非電化路線の電化事例は1954年の三岐鉄道を最後に、約20社程度に留まった。