鈴木 義広
中日ドラゴンズ No.23
基本情報
国籍 日本
出身地香川県仲多度郡まんのう町
生年月日1983年1月5日(25歳)
身長
体重188cm
88kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置投手
プロ入り2004年 ドラフト5巡目
初出場2005年4月2日
経歴
香川県立多度津工業高等学校
中部大学
中日ドラゴンズ(2005 - )
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鈴木 義広(すずき よしひろ、1983年1月5日 - )はプロ野球中日ドラゴンズ所属の投手。背番号は23。
目次
1 来歴
1.1 プロ入り後
2 記録
3 人物
4 年度別投手成績
5 関連項目
6 外部リンク
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変則的な腕の振りから150km/h近いボールを投げる大型サイドハンド。中部大学からは初めてのプロ入り選手。愛知大学リーグでは1年春から投げて新人賞を獲得する活躍を見せ、大学4年間で通算18勝を挙げた。
ルーキーながら開幕一軍入りし、前半はやや不安定だったものの、オールスター以降は31試合に登板して防御率1点台と安定感を誇った。専ら右の中継ぎとして活躍している。ちなみに2005年中日は一部で「逆転の竜」と呼ばれるほど、試合中盤以降の劇的な逆転勝ちが多かったが、鈴木が投げた後に逆転することが多かったので、その意味で鈴木は象徴となっていた。特に先発が早い回でつぶれた後の2番手に登場することが多く、「2番手の鈴木」として今のドラゴンズには欠かせなくなった。また、延長に入ったときのロングリリーフとしても機能する貴重な存在である。
2006年
開幕当初は前年の疲れやキャンプでの調整過多により2軍スタートだったが、4月末に昇格。開幕から11試合連続無失点の好投を見せ、不安定な中継ぎ陣にあって首脳陣及びファンの信頼を得ていった。シーズンが終わってみれば46試合登板で防御率1.70と、文句なしの好成績でリーグ優勝に貢献した。
2007年
これまでと同じ起用で、5月に一軍昇格。出場試合数は減少しロングリリーフも減ったが、被打率は1割台で、奪三振数もイニング数を超えた。9月以降14試合登板とフル回転し、クライマックスシリーズ、日本シリーズにも登板した。
2008年
開幕から好調で、北京五輪日本代表第一次候補選手にも選ばれた。また、人的補償により埼玉西武ライオンズに移籍した岡本真也に代わるセットアッパーの有力候補として期待される活躍を見せていた。しかし、右肘の故障により4月下旬に一軍登録を抹消されてしまった。
記録
2005年4月2日、対横浜ベイスターズ2回戦でプロ初登板。
2005年6月7日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦でプロ初先発初勝利。
2006年6月29日、対東京ヤクルトスワローズ7回戦でプロ初セーブ(この時本来のクローザーである岩瀬は登板直後であり、打席も回っていたため代打が送られていた。岩瀬はこの試合の勝利投手でもある)。
人物
手首が90度以上曲がり、親指が根本から手首につくほど柔軟。生来のものではなく、最初は人並みにしか曲がらなかったそうだが、高校入学時世話になっていた整体師の先生が「野球でプラスになるから」と勧めた柔軟トレを1年実行したことで獲得したという。親指から始めて、人さし指、中指…と1年かけて稼働範囲を広げ、高校2年時に独特なサイドスローを確立した。今でも「お風呂で湯船につかっている時、毎日手首を曲げるトレーニングをしている」という。
中部大学では機械工学科に所属していた。自身の投球フォームと柔軟な関節について、「一つ一つの関節がより曲がれば、腕全体の可動範囲は大きくなる。曲がれば曲がるほど、手が長く見える理屈です。目いっぱい腕を振って、打者に18・44メートルを短く感じさせられればいいですね」と答えている。
愛知大学春季リーグで2年生のとき、同朋大学戦でリーグ11人目のノーヒットノーランを達成した。
彼の変則的なモーション(投げ方)にはファンが多い。スネークやクネクネ、こんにゃく、タコ投法と表現されることも多い。
今ではすっかり「2番手の鈴木」として定着しつつあるが、もともとは先発要員であったことはあまり知られていない。タフでスタミナもあるので、長いイニングのリリーフに向く。
チームメートの中田賢一と仲がよく、「スーさん」と呼ばれている。移動中の新幹線の中等でマリオカートで通信対戦しているらしい。
また、年齢が上のチームメイトからは「カニ君」や「カニちゃん」と呼ばれている。これは、北海道遠征の時、鈴木のスライダーが凄くキレていたため、チームメイトから「タラバガニスライダー」(略して「タラスラ」)と呼ばれたことからきている。
1年目のオフから同郷の三瀬幸司の誘いもあり、城島健司の佐世保での自主トレに参加している。日刊スポーツの九州版ホームページにもなんとか写真で姿を確認できる程度ではあるが載ったことがある。
2004年のドラゴンズ優勝パレードの際、アルバイトとして沿道の警備にあたっていた。2年後の2006年の優勝時のパレードに参加した際、まさか自分がパレードする側になるとは思っていなかった、と語っている。