金方慶(きん ほうけい キム・バンギョン、1212年 - 1300年)は高麗王朝の将軍。
元宗の時代から将軍として仕えて活躍し、1271年からはモンゴルと共同して三別抄討伐で軍功を挙げた。1274年にモンゴル帝国大ハーンのクビライ(フビライ)により行われた日本侵攻(元寇、文永の役)においても、高麗軍の司令官として高麗軍を率いて参陣する。しかし同じ高麗人である洪茶丘と仲が悪く、作戦においてはいつも対立していたらしい。元軍が文永の役のとき、幕府の御家人に苦戦したのはこの洪茶丘と金方慶の作戦をめぐっての対立で、作戦がうまくいかなかったことが原因であったとも言われている。
1274年、文永の役より帰還した際、拉致してきた少年少女200人を、高麗王と妃に奴隷として献上している[1]。
1277年、洪茶丘の讒言により、謀反の罪でクビライに捕らわれたが、忠烈王が懸命に金方慶の無罪を主張したため、許された。1281年の弘安の役でも高麗軍の司令官として参陣している。1300年に死去、享年88。
金方慶は、元の支配で苦しんでいた高麗を必死に助けようとした忠臣・愛国者として、今でも高く評価されている。
脚注^ 『高麗史』の記述では「侍中金方慶等還師、忽敦以所俘童男女二百人献王及公主」
カテゴリ: 朝鮮史の人物 | 1212年生 | 1300年没
更新日時:2008年8月23日(土)06:29
取得日時:2008/10/03 09:33