金性洙
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各種表記
ハングル:???
漢字:金性洙
平仮名:
(日本語読み仮名){{{hiragana}}}
片仮名:
(現地語読み仮名)キム・ソンス
ラテン文字転写:Kim Sung-soo
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金性洙 (キム・ソンス、???、1891年 - 1955年)は、大韓民国の政治家、教育者、言論人。東亜日報や高麗大学校、韓国民主党の設立者としても知られる。号は「仁村」(インチョン、??)。
全羅北道高敞郡に生まれ、 早稲田大学を卒業した後、帰国して教職を務める等した後、1919年に近代資本主義的会社である京城紡織を創設した。
1920年には、東亜日報を設立し、1932年には財政難となった普成専門学校を引き受け、今日の高麗大学校を設立した。
終戦後の1945年9月8日に、朝鮮人民共和国の内閣が発表され、文教部長に任命された。1947年にアメリカのトルーマン大統領が、 トルーマン・ドクトリンを発表すると、当時韓民党主席総務だった金性洙は、トルーマンに対し賛辞を示す無線電報を送った。
金性洙は「金性洙系列」と呼称される集団を形成し、日本留学中より懇意にしていた宋鎮禹を伴い、以降も白寛洙、張徳秀等とも近い関係を維持した。一方では、周囲の有能な若い知識人たちに財政支援をする等の活動も行っていた。結局、彼はこのような力を土台にして、人心を掌握し、独立以後代表的な右翼政党だった韓民党を創党する事に成功した。これに伴い、宋鎮禹や白寛洙、張徳秀等は、韓民党の重要な役職に就く事となった。
金性洙の特徴は、この時期の他の大物政治家と違い、自ら表舞台に出る事がなかった、という点にある。宋鎮禹が暗殺された後、1948年に韓民党主席総務を務めた事と、1951年5月から1年間、李承晩大統領の引きにより、副大統領職を引き受けた事を除き、決して表舞台に出る事はなかった。他にも、如何なる宗教とも近く密着しなかったという点も挙げられる(独立後の韓国の政治家は、多くが宗教と近い関係を結んでおり、金性洙と金九(金九自身はクリスチャンだった)を除いた大物政治家は、キリスト教(主にカトリック)、そして仏教と提携して政治活動を展開していた)。
日本統治時代に、企業を運営して富を蓄積し、この過程で親日行為をしたという嫌疑で、2002年に発表された親日派708人名簿と、2005年に民族問題研究所が整理した親日派リストに含まれている。
関連項目
朝鮮の歴史
先代:
李始栄大韓民国の副統領
第2代: 1951年5月 - 1952年8月次代:
咸台永
カテゴリ: 朝鮮史の人物 | 日本統治時代の朝鮮 | 韓国の政治家 | 1891年生 | 1955年没
更新日時:2008年7月16日(水)07:38
取得日時:2008/08/10 10:04