鄭東泳
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鄭東泳
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各種表記
ハングル:???
漢字:鄭東泳
平仮名
(日本語読み仮名){{{hiragana}}}
片仮名
(現地語読み仮名)チョン・ドンヨン
ラテン文字転写:Chung Dong-young
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鄭 東泳(チョン・ドンヨン、1953年7月27日 - )は、韓国政治家本貫は東莱鄭氏。全羅北道淳昌郡出身。ヨルリン・ウリ党元議長、第17代韓国大統領選挙候補(統合民主党)。カトリック教徒で、洗礼名はダビデ。
目次

1 略歴

2 その他

3 脚注

4 参考文献

5 外部リンク

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略歴

1979年ソウル大学校国史学科卒。文化放送 (MBC) に入社し、報道局政治部で外務部(当時)、統一院(当時)、国会担当記者やロサンゼルス特派員(1989年-1992年)、週末「MBCニュースデスクアンカー(1995年-1996年)などを務めた。MBC在籍中の1988年に英国ウェールズ大学大学院を修了(ジャーナリズム学修士)。ロサンゼルス特派員時代には1989年サンフランシスコ地震( ⇒ロマ・プリータ地震)やロサンゼルス暴動などを取材・報道したほか、湾岸戦争イラク爆撃直前の1991年1月にヨルダンの首都アンマンへ派遣され、国王フセイン1世との単独インタビューに成功した。

1996年1月にMBCを退社、金大中の勧めを受けて新政治国民会議から第15代国会議員選挙全州市徳津区)に出馬し全国最多得票で当選した。2000年の第16代国会議員選挙でも前回に続き最多得票で再選され、新千年民主党スポークスマンに就任。2003年にウリ党創党の一人となり、二度にわたり党議長を務めた。

2004年、統一部長官と国家安全保障会議常任委員長に就任。2005年6月には北朝鮮を訪問し、金正日国防委員長との電撃面談を果たす。12月、次期大統領選準備のため統一部長官を辞任。2006年1月、党議長再選。5月日韓が領有権を主張する竹島に上陸し、「領有権三原則」を発表。金槿泰前保健福祉部長官らとともに、2007年大統領選挙の与党有力候補の一人とされていたが、2006年5月31日に行われた統一地方選挙で大敗を喫した責任を取って党議長を辞任。候補者レースで大きく出遅れたものの、2007年10月15日に行われた大統合民主新党の予備選では全体の43%の票を獲得し、党統一候補に選出された。鄭東泳は北朝鮮との関係強化を公約に掲げたが、南北協力は金大中・盧武鉉の10年間ですでに目新しいものではなくなっており、また盧武鉉政権下における経済情勢の悪化が進歩主義勢力離れを引き起こした結果、野党ハンナラ党候補の李明博に支持率で大きく水を開けられ、12月19日に投開票が行われた大統領選挙で李に大差で敗れ落選した[1]2008年4月9日に行なわれる総選挙においてソウル特別市銅雀乙区から統合民主党の候補として、出馬[2]したが、ハンナラ党の鄭夢準候補に敗れた[3]


その他

2004年日本を訪問した際、なぜか東京上野アメヤ横丁を訪問し話題を呼んだ。


脚注

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^ 西野純也 (2007-12-20). " ⇒第17代韓国大統領選挙の評価と今後の展望". 東京財団. 2008-07-08 閲覧。
^民主党・鄭東泳氏も出馬宣言、銅雀乙地域から 聯合ニュース 2008年3月12日
^総選挙:統合民主党、大物議員の落選で激震.朝鮮日報インターネット版(4月10日付)


参考文献

国際交流会議「アジアの未来」2005 講師略歴 鄭東泳氏 日本経済新聞社

Empas 人物検索 チョン・ドンヨン (朝鮮語)(データ提供元:ジョインス・ドットコム)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki