選民(せんみん)とは特定の集団(民族、宗教の信者)が自分たち自身を神や血統などの独自性に着目して選ばれた特別な存在と規定すること。またはそれを標榜している集団。
目次
1 考えの類型
2 啓示を受けるために選ばれたという思想
3 優越感
4 神国(日本)
5 ユダヤ教
6 キリスト教
7 カトリック教会
8 末日聖徒
9 クリスチャン・アイデンティティー系集団
10 世界基督教統一神霊協会
11 イスラーム
12 ヒンドゥー教
13 ラスタファリ運動(Rastafari)
14 注
15 参考
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この節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。
「選民」であるという感覚は宗教に関連して、また宗教以外の事柄にも関連して起る場合がある。例えば、主にキリスト教徒である「アボリショニスト」(奴隷制廃止論者)たちは、自分たちは奴隷たちに自由と権利の平等をもたらすために神に選ばれたと考えていた。 一方で、奴隷所有者(彼らもまたキリスト教徒が大半であったが)の多くも、自分たちは神から奴隷を所有し売買する権利を与えられていると考えていた。
またナチスはアーリア民族が優等であると考え、より「劣等」である全ての人種を絶滅することが自らの任務だと信じていた。
他にも、多くの宗教組織、慈善組織が、病人や苦しんでいる人を助けるために自分たちは神に選ばれたのだと考えている。
したがって、選民であるという感覚は、しばしば特定のイデオロギー運動と関連している。選民思想とは、人々を目的の達成へとより激しく駆り立てる、自分が重要な存在であると認識する感覚なのである。
他にはいわゆるマイノリティではあるが逆選民思想ともいえる低所得層とその他の層を隔離し、低所得者層による社会を構築することによってその他の層の民度などを守るといった考えもある
多くの宗教では、神はある特定の預言者やメッセンジャーに啓示を下したと信じられている。
これらの宗教のうちのいくつか、例えばキリスト教やイスラム教のいくつかの宗派では、彼らの説く道こそが救済への唯一の道であると教える。一方、他の宗教、例えばキリスト教やイスラム教の他の宗派やユダヤ教、 ヒンドゥー教、シク教、仏教、ウィッカ、また超越主義などでは、その信仰の信者が神へと至る唯一の道を知っているわけではないと考えられている。彼らは他の宗教の信者たちも、それぞれに神へと至る道を持ち得ると考えているのである。
この節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。
選民であるという思想は、しばしばエスノセントリズムと関連している。また選民思想は「文化帝国主義」(カルチュアル・インペリアリズム)や人種差別、外国人恐怖症を正当化したり作り出すために使われ得る。しかしながら、本来の定義では「選ばれた」という状態は自らを卑下する思想である。なぜなら、この考え方は他者よりも多くの責任を負い、自己をより多く犠牲にすると考えることであるからである。
このような考え方は、例えば、キリスト教の教典・聖書「ピリピ人への手紙」2:5-8に見ることができる。 「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イェスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、使える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」
日本を「神国」とする思想があった。天皇を天照大神の子孫とし、人々を天照大神に従属した神々の子孫と位置づけた。天皇は現人神として日本・世界に君臨し、日本は神々の加護が永遠に約束されているとした。近代でも対外戦争毎に強調され、国家神道を支えた [1]。
詳細は選民としてのユダヤ人を参照
ユダヤ教においては、選民であるという考え方は、ユダヤ人が神と契約を結ぶために選ばれた人々であるという思想のことである。通説とは逆に、この考え方は排他的な集団形成とはまったく関連しておらず、実際はユダヤ人でない者もユダヤ教への自由な改宗が認められている。
ユダヤ教の選民思想は、まずトーラー(モーセ五書)に見ることができる。そしてより後代に成立したタナハ(ヘブライ語旧約聖書)の中により洗練された形で表現されている。「選ばれた」というこの状態は、「聖約」(聖書に記された神との契約)に示されているように、責任を負うとともに祝福を受けるというものである。この話題については、ラビ文学に多く扱われている。
「スーパーセッショニズム」(取替理論 ⇒en:Supersessionism)という多くのキリスト教徒が信じている考え方がある。これは、キリスト教徒がイスラエルの民に代って「神から選ばれた人々」になったという思想である。