選帝侯
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選帝侯(せんていこう、: Kurf?rst)とは、神聖ローマ帝国において、ドイツ王ないしローマ王(すなわち神聖ローマ皇帝)に対する選挙権(選定権)を有した諸侯のことである。選挙侯(せんきょこう)または選定侯(せんていこう)ともいう。
目次

1 名称について

2 歴史

3 選帝侯の一覧

3.1 金印勅書で指定された7選帝侯

3.1.1 聖界諸侯

3.1.2 世俗諸侯


3.2 金印勅書以降に選帝権を与えられた諸侯


4 選帝侯の意義

5 関連項目

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名称について

選「帝」侯とは言うが、形式的には彼らが有するのはドイツ王の選挙権であって、皇帝選挙権ではない。ドイツ王であることは事実上皇帝ではあるが、ローマ教皇の推戴(戴冠)がなければ神聖ローマ皇帝とは呼ばれないからである。このため、「選挙侯」「選定侯」と呼ぶ研究者もいる。なお、1508年マクシミリアン1世が教皇に戴冠されることなく皇帝を称し、以降選帝侯に選出された者が皇帝となるようになった。

また、選帝「侯」というものの、ここでいう「侯」は侯爵ではなく諸侯のことであり、実際の位は宮中伯辺境伯大司教などである。


歴史

この選挙は、1198年から1806年まで行われた。1198年ローマ教皇インノケンティウス3世ヴェルフ家およびホーエンシュタウフェン朝のドイツ王位争いについて、ライン川流域の4人の選帝侯、すなわちマインツ大司教ケルン大司教トリーア大司教ライン宮中伯の賛同が不可欠であると定めた。なお、ライン宮中伯の選帝権はバイエルン公と交代で行使された。

1257年以来、選帝侯会議は上記の4人とザクセン公ブランデンブルク辺境伯の合計6人によって占められ、これに1289年、ボヘミア王が加わって7選帝侯となった。1356年カール4世が発した金印勅書によって、この顔ぶれとその特権が法的に確定した。


選帝侯の一覧


金印勅書で指定された7選帝侯


聖界諸侯
マインツ大司教→レーゲンスブルク大司教
ドイツ大法官1356年金印勅書で皇帝選挙の主催者とされ、選帝侯の筆頭に位置づけられると、以後 Erzkanzler durch Germanien は「ドイツ大法官」から「神聖ローマ帝国の宰相」を指す語となった。1803年にレーゲンスブルク大司教と改称。
トリーア大司教(トリール大司教とも)
ガリア=ブルゴーニュ大法官。1801年ライン左岸のフランスナポレオン)への割譲により選挙権を失う。
ケルン大司教
イタリア大法官。15世紀までは、選出された国王をアーヘンで戴冠した(以降はマインツ大司教が戴冠)。1801年ライン左岸のフランス(ナポレオン)への割譲により選挙権を失う。


世俗諸侯
ボヘミア(ベーメン)王
献酌侍従長(シェンク)。ボヘミア王自身国王選挙によって選出される王であったが、1526年フェルディナント1世が王となり、1544年に世襲の王国とした。このため、以降ハプスブルク家に保有され(ただし三十年戦争およびオーストリア継承戦争の際に一時ハプスブルク家が王位から追われたことがある)、1806年の帝国消滅を迎えた。
ライン宮中伯(ライン・プファルツ伯、ファルツ伯とも)→バイエルン大公
シュヴァーベン、ライン川沿岸地域における国王代理。家令(トゥルッフゼス、ダピファー)。1623年三十年戦争に敗れてドイツを追われ、遠い縁戚にあたるバイエルン公に選帝侯位を奪われた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki