遣独潜水艦作戦
■即会いH掲示板■
■18歳以上「入口」■

[Wikipedia|▼Menu]

遣独潜水艦作戦(けんどくせんすいかんさくせん)とは、第二次世界大戦中に遠く離れたドイツ日本とを結び、戦略物資や新兵器の図面それに大使館付武官、技術仕官、民間技術者等日独両国の人材の輸送を行った日本海軍艦艇による数次にわたる作戦を指す。
目次

1 概要

1.1 ドイツ側の遣日潜水艦作戦


2 文献

3 関連項目

//


概要

1941年6月独ソ開戦によりシベリア鉄道経由の同盟国日本からドイツへの陸上連絡路が途絶し、同年12月の日米開戦により海上船舶による連絡も困難となった。ドイツ側も生ゴムモリブデンボーキサイト等の軍用車両・航空機生産に必要な原材料を入手するために海上封鎖突破船をインド洋経由で日本の占領する東南アジア方面に送ったが、アフリカ沿岸を拠点に活動するイギリス海軍南アフリカ連邦軍の妨害にあうことが多くなり、作戦に支障をきたすことが多くなった。

このため、ドイツは潜水艦による物資輸送を提案した。日本側からもウルツブルク・レーダー技術、ジェットエンジンロケットエンジン暗号機等の軍事技術情報をドイツから入手するという思惑があり、両国の利害が一致し、ここに日本とドイツの間を潜水艦で連絡するという計画が実行に移された。

ルートは日本〜マラッカ海峡インド洋マダガスカル沖〜喜望峰沖(ローリング・フォーティーズの難所)〜東部大西洋〜ドイツ占領下のフランス大西洋岸にあるUボート基地 (Uボート・ブンカー) との往復であった。

なお、1942年当時は、東南アジアからインド洋にかけての地域は日本海軍の制海権下にあったものの、東部大西洋からヨーロッパにかけてはすでにイギリス海軍の厳重な対潜哨戒網が敷かれていたこともあり、大西洋上のルートや入港先についてはたびたび変更されている。とくに1943年以降は、大西洋〜ヨーロッパの制海権をほとんど連合軍に奪われ、インド洋以東のアジア海域にも連合軍による通商破壊が活発になっていた。

こうしたことにより、全5回の遣独作戦中、はじめ2回は往復に成功したものの後半の3回はすべて途中で撃沈されている。ただし往復に成功した2回のうちでも第一次遣独艦は帰路に立ち寄った日本占領下のシンガポール入港時に暗号通信の不徹底から味方の機雷に触雷・沈没した。沈没した艦内から貴重な積荷は回収されたが、期待されたウルツブルク・レーダーの器材や設計図面などは使用に耐えなかった。物資輸送を完全に成功させたのは第二次遣独艦のみである。また、第一次遣独艦は日英居留民を運ぶ戦時交換船を誤って攻撃しそうになったが、直前に気づき回避するという挿話もあった。

第一次遣独艦:伊号第三〇潜水艦(艦長遠藤忍海軍中佐、1942年(昭和17年)8月6日フランス・ロリアン入港 ( ⇒Lorient)。復路10月13日シンガポール港にて自軍の機雷に触れ沈没)

第二次遣独艦:伊号第八潜水艦(艦長内野信二海軍大佐、ヒトラーが日本に無償譲渡するUボート U1224号をドイツから日本に回航する要員60名を乗せ、1943年(昭和18年)8月31日無事フランス・ブレスト入港。復路も成功。駐独大使館付海軍武官横井忠雄海軍少将が便乗帰国した)

第三次遣独艦:伊号第三四潜水艦(艦長入江達海軍中佐、1943年11月13日往路マラッカ海峡にてイギリス海軍の潜水艦に撃沈さる)

第四次遣独艦:伊号第二九潜水艦(艦長木梨鷹一海軍中佐、駐独大使館付海軍武官小島秀雄海軍少将、永盛義夫海軍技術少佐(航空機)、田丸直吉技術少佐(電波兵器)、鮫島龍雄(海軍大学校ドイツ語教授)総勢17名の便乗者を乗せ、1943年(昭和18年)12月17日シンガポール出航。1944年(昭和19年)3月11日フランス・ロリアン入港。復路は、小野田捨次郎海軍大佐、松井登兵海軍大佐、巌谷英一海軍技術中佐総勢18名を便乗させ、4月16日ロリアン出航。7月14日シンガポール入港、7月26日バシー海峡にてアメリカ海軍の潜水艦に撃沈される)

1944年(昭和19年)3月には「日独製造権および原材料供給協定」が調印されて、ドイツ政府は日本の要望するすべてのドイツ軍需機器を提供し、その対価はドイツ政府が各製造会社に支払い、両国勝利後に日本はドイツ政府に支払うとして軍事技術と原材料の交換が活発となる


第五次遣独艦:伊号第五二潜水艦(艦長宇野亀雄海軍中佐、1944年(昭和19年)6月24日、往路大西洋にて米護衛空母ボーグの艦載機の攻撃により沈没)


ドイツ側の遣日潜水艦作戦

ドイツ海軍からも Uボート が派遣された。フランス・ボルドー軍港にドイツ海軍との協同作戦基地を保持するイタリア海軍も5隻の潜水艦をアジアに送った。

1943年(昭和18年)4月26日、インド人の独立運動家チャンドラ・ボースはUボート ⇒U180からマダカスカル島南南東400浬のインド洋上で会同した伊号第二九潜水艦に移乗して日本に向かい、伊号第二九潜水艦からは友永英夫技術中佐、江見哲四郎海軍中佐が U180 に移乗してドイツに向かった。


1943年5月10日、ヒトラーより日本海軍に無償譲渡される Uボート U511が艦長フリッツ・シュネーヴィント海軍中尉指揮の下にロリアンを出航。


■可愛い娘探セル■
■18歳以上「入口」■

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki