違法性(いほうせい)とは、形式的には、法規範に反している性質をいう。ただし、違法性の本質については後述のように争いがあり、それに従って定義(特に、実質的な意味における違法性の定義)も変わる。
目次
1 法分野間の違法の相対性(一元論と多元論)
2 刑法における違法性
2.1 形式的違法性論と実質的違法性論
2.2 客観的違法論と主観的違法論
2.3 結果無価値と行為無価値
2.4 体系的地位
2.5 日本における違法性論
2.5.1 刑法における違法性
2.5.2 違法性論の結論への影響と判例
3 不法行為法における違法性
4 債務不履行法における違法性
5 参考文献
6 関連項目
7 注
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例えば、民事法上、違法・不法と評価される行為は、刑事法上も違法・不法と評価されるべきか、それとも、一方では違法とされ、他方では適法とされることも許されるのか、という問題について、見解が対立している。
違法一元論は、全ての法において、違法・適法の判断は統一的な基準によって行われると考える見解である。
違法多元論は、各法分野において、違法・適法の判断基準が異なってもよいとする見解である。
違法多元論によれば、例えば、刑法上の違法は、法秩序全体の中で違法とされるもののうち、刑罰をもって臨むにふさわしいといえる程度の違法性(可罰的違法性)が認められる場合にのみ肯定されなければならない(例えば、民事法上の損害賠償責任を負う者が、それを理由として、刑罰を科されるいわれはない)、という結論を導くことが可能となる。
他方、違法一元論によれば、こうした理解は論理的に不可能であり、それは不都合であると批判される。しかしながら、違法一元論によっても、ある行為が違法と評価された場合、その行為は刑法上も違法ではあるが、それにどのような法的効果を認めるかについては、なお、刑法上の問題として留保されている(刑法上も違法であるからといって、これを必ず罰しなければならないわけではない)。違法多元説によって導かれる妥当な結論は、違法性を多元的に理解せずとも、違法に対応する法的効果に多元性を認めれば、同様に導くことができる、との反批判である。
多元論によれば、他の法令に違反する行為でも、それが刑法的にも違法と評価されるかは、別問題ということになる。
違法性とは、ある行為が法規範に違反することと解するのが形式的違法性(独 formelle Rechtswidrigkeit)論である。これは、実定法主義に立脚するものであって、アドルフ・メルケル(Adolf Merkel)やビンディングによって提唱された。
しかし、形式的違法性論は、「法に反することが違法である」ということを意味するのみで、何ら違法性の実体を明らかにしない。そこで、形式的な法規範違反ではなない、より実質的な意味での違法性、すなわち実質的違法性([ドイツ語|独] materielle Rechtswidrigkeit)が探求されるようになった。
実質的違法性論の内容は、論者によって相当に異なる。例えば、フランツ・フォン・リストによれば、社会侵害的な挙動・法益への侵害又は脅威が、M・E・マイヤー(M.E.Mayer)によれば、国家の承認した文化規範(Kulturnorm)と相容れない態度が、それぞれ(実質的)違法性の内容であるとされている。上記リストの見解を法益侵害説、マイヤーの見解を規範違反説という場合があり、それぞれ、結果無価値論、行為無価値論に関連する。
刑法上の違法性の本質について、かつては、客観的違法論と主観的違法論との対立がみられた。古典派刑法学(旧派)の立場からは客観的違法論が、近代派刑法学(新派)の立場からは主観的違法論が支持され、学派の争いの中で盛んに論争が繰り広げられていたのである。
客観的違法論と、主観的違法論とは、法を評価規範と見るか、命令規範と見るかについて、見解を異にする。
客観的違法論(客観主義)は、客観的な評価規範である法規範に、客観的に違反することが違法であるとする立場である。これによれば、責任能力のない者の行為であっても、違法と評価されうることになるし、極論すると、人間以外の動物の行動や自然現象についても、違法との評価を下し得る。
主観的違法論(主観主義)は、行為者に対する命令規範であるところの法規範について、その命令を理解しながら、自らの意思により行動して違反することが違法であるとする立場である。これによれば、責任能力のない者の行為は、違法と評価することができない(当然、人の行為ではない自然現象を違法と評価することはない)。
元来、客観的違法性論は、伝統的学説の見解であったが、19世紀後半から、アドルフ・メルケル(Adolf Merkel)が提唱した主観的違法性論の立場から批判を受け、主観的違法論も支持を集めた。しかしながら、ルドルフ・フォン・イェーリング、メツガー(E.Mezger)らが客観的違法性論の側から反論を試みた結果、主観的違法性論は徐々に支持者を失い、客観的違法性論が支配的見解となった。
この客観的違法性論によれば、刑法規範は、評価規範と決定規範の二つの側面を有し、評価規範への違背が違法であり、決定規範への違背が責任であるとされる。
客観的違法性論(客観主義)が主流となる中で、今度は、その内部において、違法性の実質をめぐる対立が顕在化するようになった。すなわち、違法性の本質について、法益侵害説(結果無価値論)と規範違反説(行為無価値論)の対立である(それぞれの詳細は、結果無価値、行為無価値を参照。)。
結果無価値論とは、違法性の実質を、結果無価値(Erfolgsunwert)、すなわち、行為によって惹起された結果への(言い換えれば、事後的な)否定的評価であるとする見解であり、違法性の実質を法益の侵害及び危殆化と理解する法益侵害説と同視される。例えば殺人罪についてみれば、既遂の場合は人の死という結果、未遂の場合は人の死という既遂結果惹起の危険という結果を生じさせることが違法であると考える。