道教 (どうきょう、D?oji?o、英語 Taoism)は、中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。
道(タオ)という宇宙と人生の根源的な真理の世界―の不滅とそれに一体となるべく修行し煉丹術をおこない、不老不死の霊薬、丹を煉り服用し仙人になることを究極の理想とする、漢民族の土着的・伝統的な宗教。道の字は?(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を含んでいる。
道教では真理を教えることはなく、各人が道を学び得ることを目的とする。神仙となって長生きをすることは道をえる機会が増えることであり奨励される。真理としての宇宙観には多様性があるとしており、道教における宣教師的存在である道士らの宗派は、宇宙の多様性を示しているとして大いに歓迎される。また中国で三教が共存するのは多様性とするからであり、各々が補完しあっている。また、食生活においても何かを食することを禁ずる律はなく、さまざまな食物をえることで均衡がとれ長生きするとされる。
現在でも台湾や東南アジアの華僑・華人の間ではかなり根強く信仰されている宗教である。中華人民共和国では共産主義革命と文化大革命によって道教は壊滅的な打撃を受けたが、民衆の間では未だにその慣習が息づいている。また現在では宗教帰依が許され、その宗教観の修復がなされている。
なお、老子が教祖とされるため一般によく誤解されているが、老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はない。ただし、道教が創唱宗教の形態を取る過程で道家の思想を取り入れたことは事実で、そのため西欧では、アンリ・マスペロを筆頭とするフランス学派の学者たちを中心に両者の間に因果関係を認める傾向があり、両者の混同から19世紀後半に両方を指す語としてタオイズム(Tao-ism)の語が造られた。それを承けて、日本の専門家の間でも同様な見解を示す向きが近年は多くなってきている。北京の白雲観台湾にある道観(道教の寺)太極図
目次
1 起源
2 歴史的に形成された道教
3 日本における道教
4 関連項目
5 外部リンク
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どのようにして現在のような宗教的思想体系になったのか、ほとんど不明である。道教の発生は、中国古来の巫術もしくは鬼道の教を基盤としている。その上に、墨家の上帝鬼神の思想信仰、儒教の神道と祭礼の哲学、老荘(道家)の「玄」と「真」の形而上学、さらに中国仏教の業報輪廻と解脱ないしは衆生済度の教理儀礼などを重層的・複合的に取り入れてできあがった物であろう。
隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するにいたった。
道教の教団の制度は2世紀頃の張角の太平道(黄巾の乱)、さらに張陵の五斗米道(天師道)の教団制度が基本にあるのではないか、と言われている。更に中国に入ってきた仏教の教団制度との類似も指摘されている(特にその出家制度)。
西晋末の葛洪(かっこう)は、「抱朴子(ほうぼくし)」を著し、仙人となるための修行法を説いた。
5世紀頃(劉宋)の江南で活躍した道士、陸修静(りくしゅうせい 406年 - 477年)はさまざまな流れのあった道教をまとめあげる事に大きな寄与をした、と言われている。当時、江南呪術の系譜であるといわれる「三皇経」、またその他に「霊宝経」、「上清経」などと称される経典群があったが、それらは、系統的に別々の流れのものだった。このころには、道の変化した神である「元始天尊」「霊宝天尊」「道徳天尊」の三清が文献上現れている。
南斉・梁の陶弘景(とうこうけい 456年 - 536年)は、それらを体系づけた「真誥(しんこう)」を著した。
同姓の老子(李耳)を宗室の祖と仰ぐ唐朝は、宮中での道教の席次を仏教の上に置いた(道先仏後)。玄宗の時代には、司馬承禎から法?を受け道士皇帝となり、自ら『道徳経』の注釈書をつくり、崇玄学(道教の学校)を設置してその試験の合格者は貢挙の及第者と同格とされた(道挙)。
唐末の杜光庭(とこうてい)の「道教霊験記(どうきょうれいげんき)」、「洞天福地岳?名山記(どうてんふくちがくとくめいざんき)」
八仙 - 呂洞賓(りょどうひん)ほか。呂洞賓はもっとも有名な仙人と言える。
宋代には内丹術(ないたんじゅつ;呼吸法により体内の気をめぐらせて仙丹を生み出す行法)や錬度(れんど)の科目が盛行し道教の姿も大きく変化していった。
北宋の張伯端(ちょうはくたん)「悟真篇(ごしんへん)」 - 内丹道の主要経典
金・元の時代に、北方で全真教に代表される新道教が成立した。また南方には、五斗米道の流れをくむ正一教が教勢を張っていた。
「西遊記」 - 玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)は孫悟空に斉天大聖(せいてんたいせい)の位を与えている。
明代の通俗小説「封神演義(ほうしんえんぎ)」 - 道教の神々が大活躍。現実の道教にも影響を与えている。