中華民国(台湾)の政治家
連戦
連戰
連戦(2005年)
生年月日1936年8月27日(71歳)
出生地 中華民国陝西省西安
出身校台湾大学
シカゴ大学
所属政党 中国国民党
配偶者連方?
行政院長
就任日1993年2月27日
退任日1997年8月31日
副総統
就任日1996年5月20日
退任日2000年5月20日
中国国民党主席
就任日2000年3月24日
退任日2005年8月29日
表・話・編・歴
連 戦(れん せん、連 戰。ピンイン:Li?n Zh?n 1936年8月27日 - )は中華民国(台湾)の政治家。字は永平。2000年から2005年まで中国国民党の主席。現在は党の名誉主席。このほか副総統・行政院院長・台湾省主席などを務めた。
出生は西安だが、父親である連震東が台湾台南市出身だったため、台湾省籍を持つ。母親の趙蘭坤は瀋陽出身の中国人。俗に言う半山である。「連戦」という名前の由来は当時、国民政府と戦争状態だった日本に対して「連戦連勝」するよう祈念し、父親である連震東(後に台湾籍では初の内政部長に就任)が名づけたものである。もし連戦に弟が生まれた場合は「連勝」と名づける予定だったらしいが、それは果たせなかった。
台湾大学政治学部卒業後、1959年にアメリカのシカゴ大学へ留学。1965年政治学博士号を取得、コネチカット大学助教授を経て、1968年台湾に帰国した。台湾大学教授、政治研究所主任を経て、1975年に政界入り。国民党に籍を置き、交通部長、行政院副院長、外交部長、台湾省政府主席など、台湾政界の要職を歴任する。1993年には国民党副主席に当選。行政院長も務める。1996年には李登輝総統の下に属する副総統に当選。
2000年総統選、2004年総統選と国民党の公認で中華民国総統選挙に立候補したが、いずれも民進党の陳水扁候補に敗れた。この為連戦に批判的だった人、特に民進党支持者は名前の由来をもじり「連戦連敗」と揶揄した。
2005年、中国本土の中華人民共和国を訪問、胡錦濤国家主席と会談。中国国民党と中国共産党の首脳会談は60年ぶりであった。これは国共合作再開の印象を与えたが、台湾独立志向を強める李登輝達は、連戦を売国奴と批判した。2006年、再度訪中し、胡錦濤と4月16日に再会談した。2007年にも訪中し、河南省鄭州市等を訪問して、胡錦濤と3度目の会談を行った。
妻の連方?は「ミス・チャイナ」出身。息子の連勝文は2005年の中国国民党党大会において中央常務委員に高得票で当選し、その職にある。
先代:
李元簇中華民国副総統
1996年 - 2000年次代:
呂秀蓮
先代:
李登輝中国国民党主席
2000年 - 2005年次代:
馬英九
などして下さる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
カテゴリ: 政治家関連のスタブ項目 | 台湾の政治家 | 1936年生
更新日時:2008年7月16日(水)13:13
取得日時:2008/07/20 23:33