連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ、聯合国軍最高司令官総司令部)とは、第二次世界大戦終結に際してポツダム宣言の執行のために日本を占領し、間接統治を行なった連合国軍の日本における司令本部である。日本では「GHQ」という通称が用いられた。連合国軍総数は20万人、うち12万人が横浜市に上陸した。
目次
1 名称
2 基本情報
3 機構
4 政策
4.1 戦争犯罪人の逮捕
4.2 公職追放
4.3 情報統制
4.4 非軍事化
4.5 民主化
4.6 農政
4.7 教育改革
4.8 非共産化と再軍備
4.9 「慰安所」の設置
4.10 対日講和
4.11 日本語のローマ字化(断念)
5 年表
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
9 外部リンク
//
英語の"General Headquarters/ Supreme Commander for the Allied Powers"の日本語訳。「総司令部/ 聯合国軍最高司令官」が正式名称となるが、この記事名のほか、「軍」という語を使わずに連合国最高司令官総司令部、これを略して連合国総司令部としたり、軍を含めて連合国軍最高司令部[1] 、又は連合国軍総司令部とする場合もある。また、"General Headquarters/ Supreme Commander for the Allied Powers"の略語であるGHQ/SCAP(ジー・エイチ・キュー・スキャップ)が用いられることもある。なお、日本では一般に、SCAPを省きGHQ(ジー・エイチ・キュー)と呼ぶことが多いが、GHQは単に総司令部(General Headquarters)を意味するので、日本以外でGHQと言った場合、必ずしも「連合国軍最高司令官総司令部」を意味するわけではない。
基本情報マッカーサーを訪問した昭和天皇(1945年9月27日撮影した3枚のうち9月29日に公開された1枚)
日本がポツダム宣言を受諾した1945年(昭和20年)9月から1952年(昭和27年)4月28日の日本国との平和条約発効までおよそ6年9ヶ月の間、日本占領に当たる連合国軍(イギリス、アメリカ、中華民国、ソビエト連邦、カナダなど各国軍から最大43万人)を統括し、日本の間接統治権を与えられた。最高司令官は連合国の構成国の1国であるアメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー元帥。1951年(昭和26年)4月16日より同国のマシュー・リッジウェイ中将(就任直後に大将に昇進)。
連合国軍最高司令官総司令部の統治は、日本の政治機構をそのまま利用し、日本政府に指示・命令する間接統治であった。連合国軍の命令の多くは1945年(昭和20年)9月20日の勅令「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」に基づいていわゆるポツダム命令(ポツダム勅令。新憲法施行後はポツダム政令)などの形で公布・施行され、日本政府にとっては絶対的・超法規的な性格をもっていた。1946年(昭和21年)2月には政策決定の最高機関として各国代表による極東委員会が、4月には最高司令官の諮問機関として対日理事会が設置されたが、実質は最大の占領軍を派遣し、また最高司令官を出していたアメリカによる間接統治という性格は変わらなかった。
日本はまず軍事機構と国家警察を解体され、続いて政治の民主化と政教の分離、資本財閥の解体、農業改革を行い、国家を完全に改造した。この間、日本の内政は連合国軍の影響下に置かれながらも日本政府が担ったものの、外交権は無かった。「敗戦国を戦勝国が完全に支配下に置き、統治を行うことは近代国家の時代に入ってからはなかったことである」とマッカーサーは述懐している。
機構接収された第一生命ビル。現「第一生命館」。(手前は皇居の外堀。後ろの高層部分は後に増築したもの。